■日本語の「文末」概念: 文の要素を束ねる機能

     

1 述語の概念よりも使える文末概念

日本語の場合、文末に述語が置かれるために、述語と文末が同じ扱いになりがちです。しかし文末+ムード(モダニティ)というのが既存の文法では通説的に扱われてます。「来る・だろう」の「だろう」は述語ではなくてムードだということです。

たとえば「彼は明日、おそらく時間通りに来るだろう」という例文の場合、学校文法ならば、主語は「彼は」となります。そして述語は「来るだろう」と扱われます。学校文法ならではのことでしょう。文法学者ならば「来る」を述語、「だろう」をムードとします。

付記するならば「彼は」は、主語でなく主題であるというのが通説的見解になるはすです。「彼が」の場合は主格補語であり、「いわゆる主語」だという言い方でしょう。しかし、こうした解釈が読み書きに役立つとは思えません。以下、文末概念を取り上げます。

     

2 述語を修飾する言葉まで含めた概念

「彼はいつも時間通りにやってくる」という例文の文末は「やってくる」です。「やってくる」は述語ですから、文末が述語と同一になることもあります。さらに言えば、文末になるのは「述語」と「述語+ムード」だけではありません。文末はもっと広い概念です。

例えば、「彼はいつも時間通りにやってくると鈴木さんが言った」という文の場合、主語は「鈴木さんが」でよいでしょう。述語は「言った」となるはずです。そうすると「彼はいつも時間通りにやってくると」をどう扱うべきかが問題になります。

「彼はいつも時間通りにやってくると」の部分は、「言った」の内容説明です。述語である「言った」を修飾する言葉だと解釈できます。途中に「鈴木さんが」が挿入された形でしょう。「鈴木さんが、彼はいつも時間通りにやってくると言った」の変形です。

この例文の主語は「鈴木さんが」であり述語は「言った」ですが、意味から考えるならば、「『彼はいつも時間通りにやってくる』と言った」が一体化されて文末になります。一体化させる目印となるのは助詞「と」です。助詞「と」は「+」を表します。

      

3 文の骨組みとなる言葉を束ねる機能

あるいは「放課後、私は図書館に本を返しに行った」の述語は「行った」で間違いありません。ただし文末の概念からすると、「行った」は文末ではなくなります。文末の概念で不可欠なのは、その前に置かれた文の主要な言葉と、対応関係になっている点です。

述語「行った」とその前に置かれた言葉との対応関係を見てみると、次のようになります。「放課後…行った」〇、「私は…行った」〇、「図書館に…行った」〇、「本を…行った」×、「返しに…行った」〇。述語の概念と文末概念では機能が違うのです。

「返しに」は「返すために」という目的を示す言葉であり、「行った」の修飾語句として文末に吸収されます。「放課後…返しに行った」「私は…返しに行った」「図書館に…返しに行った」「本を…返しに行った」となりますから、「返しに行った」が文末です。

文末には、文の骨組みになる言葉を束ねる機能があります。逆にいえば、「述語+ムード」が文末になるのも、「…と+述語」が文末になるのも、「(目的)に+述語」が文末になるのも、文の骨組みの言葉を束ねる、要となる機能を文末が持っているためです。

      

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