■梅棹忠夫『文明の生態史観』とモンゴル帝国

     

1 衝撃的だった「文明の生態史観」

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は重要な書物と扱われているようです。『新・現代歴史学の名著』にも取り上げられています。樺山紘一は、最初の論文が1957年に[掲載されたとき、日本の論題には大きな衝撃がはしった]と解説に書いています。

この論文で梅棹は[世界史についての総括的な理論を提示した]のでした。[高度の文明を建築できた地帯と、そうでない地帯]に分けて、両者を第一地域、第二地域に区分しています。[封建制を十全に経験した]かどうかが、両者を分けているとの主張です。

樺山は、以下のように予測した正確さを指摘しています。[第二地域は、将来四つの巨大なグループの併立状態にはいる可能性がかなりおおいとおもう。中国ブロック、ソ連ブロック、インド・ブロック、イスラーム・ブロックである]。

     

2 組織の遷移を考えるヒント

梅棹の理論は生態史観と名づけられました。梅棹自身の言葉で言えば、[主体と環境との相互作用の結果がつもりつもって][サクセション(遷移)という現象がおこる][条件がちがうところでは、運動法則がちがうのは当然]という考えです。

しかしこの部分の詰めが出来ていませんでした。そのため樺山は[のちの展開がおおいに期待されるところであった]と記すことになります。遷移を起こした要因となる[主体と環境との相互作用]をもっと詰めない限り、安定した理論にならないのです。

ビジネス人にとっては梅棹の仮説が詰められていくと、組織の遷移を考えるヒントとなるはずでした。遷移を起こした主要因は何かということです。この点、岡田英弘は『現代中国と日本』で[十三世紀にモンゴル帝国が出現し]たことに焦点を当てました。

[中国も、ロシアも、インドも、みんなモンゴル帝国が生み出した国家であり国民です]から、[現代のユーラシア大陸の国民国家のほとんど全部が、その起源をさかのぼると、モンゴル帝国から分かれてできたもの]という視点を提示したのです。

     

3 モンゴル帝国の特徴

岡田は、モンゴル帝国の支配が[治安の維持に熱心で、商業を保護したために、ユーラシア大陸の東西を結ぶ陸上貿易が大発展した]と指摘しています。欧州と日本は[陸上貿易の利権から締め出され]たため[海上活動がはじまる]ことになったのです。

ではモンゴル帝国の特徴はどこにあったのでしょうか。宮崎市定が『西アジア遊記』に一筆書きしています。[十字軍の時代、西アジア、ヨーロッパの人民は、何等かの宗教を信奉し][宗教のない人間というものは考えることさえ出来なかった]のでした。

[そこへ突然無色透明な人類]であるモンゴル人がやってきます。[彼等は他人の信仰内容に立ち入らんとせず、また立ち入らんとする興味もなく、ただ政治的に彼らの前に屈状叩頭すべきことのみを要求して満足した][宗教上にはもっとも寛大なる征服者]です。

[蒙古大帝国の出現は西アジアとヨーロッパの宗教的対立を解消せしめた。ヨーロッパ人は自由に蒙古帝国内を往来して通商貿易に従事しうるようになった]、その結果、イタリア諸国は再び繁栄してルネサンスに繋がった…と。もう少し詰めてみたいところです。

       

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