■個人の能力と組織:今北純一『欧米・対決社会でのビジネス』

    

1 バブル崩壊前に書かれた本

1980年代の日本は、世界でも経済大国として認められ、欧米よりも健全な経済状況だとみなされていました。あの頃の本をいまから振り返ってみると、もはや再読する気にならないものがあるとともに、少数ながら依然として読み応えのある本もあります。

今北純一『欧米・対決社会でのビジネス』は1988年に出版された本です。いまから見ると、日本経済がバブルの絶頂だった頃に書かれたものでした。ヨーロッパで仕事をしていた著者からすれば、日本のビジネスがどれほどのモノかという気がしていたようです。

ヨーロッパのエリートたちが高いレベルをもちながら、それが必ずしもうまくいっていない点も含めて、いま読んでも役に立ちます。今北はルノーに勤めていました。ルノーでの話を読むと、ルノーがダメになった理由も何となく見えてきます。

     

2 情報共有できない理由

今北がルノーにいたとき、米国での自動車生産に関するGMとトヨタの提携構想が新聞発表になりました。ところがルノー社内では話題にもならなかったそうです。マネジャークラスでも、そのニュースを確認していた人が少数派だったと書かれています。

「そういう海外戦略に関わる情報については、担当の事業部が、十分かつ綿密にフォローしているはずだから、ここで取り上げる必要はない」と、商品企画本部のグループ・リーダー会議で、本部長はこう言い放ちました。なぜこんなことになるのでしょうか。

▼特別な場合を除けば、彼らは、ほぼ本能的に、各自銘銘、情報の蓄積を図り、その情報タワーの大きさでパワーの誇示をする。そういう競い合いが同時並行的に潜行するから、会社組織全体からみると、情報の何重ものストックという現象がおこる。

もう何十年も前の話です。しかし[自分が蓄積を図っている]情報を持つ人間は[ライバルである]と考えるならば、情報共有は困難になります。競争原理だけでは、組織はうまくいかないということです。この点に限って言えば、日本の方がましでした。

      

3 日本のビジネス・エリートの弱点

ヨーロッパの組織にいた8年半にみた日本のビジネス・エリートたちが、[交渉相手を務めたヨーロッパ人たちの脳裏に鮮やかな人格を印刷していっただろうか。感覚統計的に言うと、五十人に一人、いや百人に一人といった割合でしかない]と今北は言います。

[自分を出すことなく、まるで性能のいいロボットのように、ただただ機械的に仕事を処理していった人たち]とみなされたなら、尊敬されることはありません。学生の就職についての考え方を見ても、日本とヨーロッパの学生では大きな違いがあるようです。

日本の大学院での談話会でのこと。学生と就職に関する[身の上相談的質問に終始し]、どっちが得ですかという質問ばかりでした。ついには[安定や昇進、それに就職する会社の将来性を真剣に考えるのがどうしていけないのですか]と学生は発言します。

現在でも就職に関する質問の多くは、どこがいいかということです。いまでは得損よりも、いかにストレスなく仕事が出来るかが主要な関心になっています。改めて、自分をプロ化するために、自分流のプログラムを持たなくてはいけないと思うのです。

    

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