■自国語への劣等感と自信:大野晋の心配と日本語の文法

     

1 フリードリッヒ大王の檄文

村上陽一郎が『やりなおし教養講座』で、[ドイツ語圏では、特に知識人の間では、自分たちの自然の言語はむしろ蔑まれてい]て、[ドイツ語圏では長い間、知識人の使う言葉はドイツ語ではなかったんですよ。フランス語だったんです]と指摘しています。

ドイツでは[十八世紀の終わり近くまで]フランス語を使っていました。[カントは十八世紀の後半に活躍したけれど、彼は哲学をドイツ語で書いたきわめて初期の人]ということです。そこで、村上は[私の大好きなエピソード]を語っています。

[プロイセンのフリードリッヒ大王が十八世紀の七十年代ぐらいに、大檄文を一つ書いたんですよ。「ドイツ語文学よ、起これ」という檄文]。当時、ドイツにはフランスのように悲劇のラシーヌや、喜劇のモリエールのような作家はいませんでした。

[ちょうどそのころシラーが、『群盗』という劇の形をした作品を発表し、ゲーテも『若きウェルテルの悩み』を発表し始めたころ]でした。しかし[大王はまだそれを知らな]くて、[檄文を大王はフランス語で書いて]添削してもらった上で、配りました。

      

2 必要なかった大王の檄文

ヨーロッパでは、フランスが先進国だったため、フランス語がすぐれた言語だという考えがあったようです。ルイ14世の在位は、1643年から1715年でした。1635年には、フランス語を純化・統一するためのアカデミー・フランセーズが設立されています。

英語が後進的だという意識がイギリスにもあったようです。『ガリバー旅行記』を書いたスウィフトは、フランスのようなアカデミーをつくるべしと[一番強く主張した中心人物の一人]だったとのこと。『アングロサクソンと日本人』で渡部昇一が語っています。

『ガリバー旅行記』は、1726年に初版がでました。それから数十年で、[イギリス人のフランスに対する劣等感が消え]ています。1750年頃には[イギリスが世界一の金持ちになっていて、フランスに対して優越感を持てるようになった]というのが渡部の指摘です。

ドイツでも、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』がドイツ語で書かれて、刊行されたのが1774年でした。ドイツだけでなく、ヨーロッパ中で評判になっています。この頃、ゲーテは『ファウスト』にも着手したとのこと。大王の檄文は必要なかったのです。

     

3 日本語文法が整備される基礎条件

日本語に関しても、似たところがあるのかもしれません。第二次大戦前、大野晋はドイツ語で読んだ『ファウスト』に圧倒されて、日本語は負けていると感じています。『日本語はいかにして成立したか』で、大野本人が書いていることでした。

▼私は明らかに知りたかった。日本はヨーロッパのもつ何を欠くがゆえに、ヨーロッパをこのように追いかけなければならないのか。日本がヨーロッパに及ばないのは何故なのか。ことによるとそれは、日本語と言う言語がヨーロッパのような思考と表現の厳密さや精確さにたえない言語だからではないか。

私たちは、なかなか大野のような気持ちにはなりません。曰く、[日本語の音節の構造、その配列、文法上の語順の規則-それらはドイツ語の韻文に見られる美しい技巧、力強いリズムと脚韻の旋律とを阻んでいる][私はくち惜しく反芻した]とのこと。

現代では、日本語自体を心配する人はまれです。日本語の不備を心配しながら、文法の整備をすることなど、うまくいくはずありません。ヨーロッパ諸国から比べると、ずいぶん遅い感じはしますが、やっと日本語の文法が整備される基礎条件が整ったと思います。

     

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