■形容動詞という幻想の品詞

1 形容動詞という品詞

論理的な文章を読み書きするには、『論文の書き方』で清水幾太郎がいうように、日本語を外国語として取り扱って、[文法によって解釈しなければならない]ことになります。大野晋が『日本語練習帳』で[文章の意味の構造を理解する]というのと同様でしょう。

意味の構造を、文法によって解釈するには、日本語の独自性と各言語との共通性が問題になります。英語の場合でも相当時間をかけて、8品詞に整理されてきた歴史があるようです。日本語に、この品詞をそのまま当てはめたら、おかしなことになります。

品詞をどう定義するか、あるいは主語をどう定義するか、こうした点から考え直さないと、意味の構造を理解するのに役立つ文法は出来そうにありません。現在、形容動詞という品詞を想定して、活用するというおとぎ話のような幻想がまかり通っています。

 

2 「きれい」の品詞は?

学生に「きれい」の品詞は何かと聞くと、形容詞と答えます。あるいは形容動詞と答えます。形容詞の定義、形容動詞の定義がはっきりしていませんから、違うと断定はできません。「ナ形容詞」という言い方がありますから、形容詞でも間違いとは言えないのです。

しかし「きれい」は活用するのでしょうか。「きれい」が活用するなら、「犬」や「猫」までが活用するかもしれないのです。「きれい」の活用形を調べてみれば、何だか本当に活用しているように見えます。以下、「子供」の活用(?)とともに並べてみましょう。

◆未然形:きれい・だろう(子供だろう)
◆連用形:きれい・だった(子供だった)、きれい・でない(子供でない)、きれい・になる(子供になる)
◆終止形:きれい・だ(子供だ)
◆連体形:きれい・なとき(子供のとき)
◆仮定形:きれい・ならば(子供ならば)

子供の未然形が「子供だろう」だと思う人はいないはずです。「きれいだろう」を未然形だとするのは、無理があります。活用などしていないのです。あれこれの言葉を接続させて、活用形のように見せているだけでしょう。いわばダミーの活用形です。

 

3 活用する・しないの判別

活用しているのか、していないのか、その判別をどうやって行ったららよいのでしょうか。これは簡単なことです。「だ/である」がつく言葉は活用しません。「のだ/のである」がつく言葉は活用します。活用する言葉だから「の」「こと」が必要になるのです。

「私は学校に行った・のだ」とか「庭の花が美しい・のだ」が標準であって、「行った・だ」「美しい・だ」はルール違反になります。「庭の花がきれい・だ」と言い、「庭の花がきれい・のだ」とは言いません。「のだ」がつかないのは、活用しないからです。

「私だ」「学校だ」「庭だ」「花だ」と、活用しない言葉には「だ」が接続します。単純なことです。「きれい」は何かを形容する言葉だというのなら、それは間違いではないでしょう。それならば、「満開の」も何かを形容する言葉だということになります。

「満開」は名詞と扱われています。同様に「庭の花」の「庭の」が「花」を形容しているのは間違いありませんが、しかし「庭」は形容詞ではありません。活用しないからです。「きれい」も活用しません。形容動詞という品詞を立てるのは無理があるのです。

 

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