■名詞とは何か:主格にならない名詞について

    

1 大野晋による名詞の定義

名詞のことを考えていたら、そういえば大野晋が名詞について書いていたなあ…と思いだしました。『日本語の文法を考える』で、日本語の半分以上が名詞になっていると指摘しています。そして名詞とは何かを説明しています。以下のようなものでした。

▼われわれがある一つのもの、またはこと、あるいは観念を対象としてとらえ、それが存在すると考えるとき、それに一つの名前をつける。そして他と区別しようとする。それが名詞である。

この発想で名詞を作っていくと、名前のついたものすべてが名詞になるのでしょう。名詞が多くなるのはそのつくられ方からしても、当然なのかもしれません。少し絞り込むか、名詞内で分類した方がよさそうです。言葉の機能から考えることも必要でしょう。

そうなると、日本語における主語や主題について、踏み込まなくてはならなくなります。しかし簡単に共通認識が出来そうにありませんから、名詞が増えて、差しさわりのない分類のみになっています。形容動詞を区分したり、代名詞を区分したくなるのでしょう。

     

2 「なる」接続可能な言葉

名詞について一番問題になるのは、主格になる名詞と、ならない名詞があることです。主格になるとは、センテンスの主役になる言葉であるかどうか、文末の主体になる言葉かどうかということになります、これを主語と呼ぶなら、主語になるかどうかの条件です。

大野は『日本語の文法を考える』で抽象名詞を取り上げて論じていましたが、それ以上に、文末の主体にならない言葉が問題になります。たとえば「尊厳」という言葉の品詞はどうなるのでしょうか。辞書では、名詞・形容動詞とあるか、名詞とあります。

形容動詞と記述されているのは、「尊厳なる爵位」「極めて尊厳なり」といった旧式の言い方が可能だったからでしょう。旧式の言い方なら、「なる」が活用して動詞のようにもみえます。現在では「尊厳な爵位」とは言いませんから形容動詞ではないでしょう。

しかし大切なことは、「人間の尊厳が問われている」という言い方が可能であるという点です。「問われている」ことの主体は「尊厳」ですから、センテンスの主役、主格になっています。「小諸なる古城のほとり」の「小諸」と同じ扱いだといえます。

      

3 主格にならないことの確認

形容動詞と呼ばれることのあるナ接続が可能な言葉の場合、文末の主体にはならない、センテンスの主役にならないという点が重要でしょう。「きれいが一番」という場合、「きれい」が主体ではなくて、「きれいなこと」がセンテンスの主役と見るべきです。

「厳格な人」というときの「厳格」も、「厳格が信条」という言い方が成り立ちますが、「厳格なこと」が主格であると見るべきでしょう。ナ接続の言葉をグループ化することの意義は、その言葉が主格にならない点を確認するところにあります。

同様に「満開」「最高」「唯一」などのグループを考えることも可能でしょう。これらは辞書でも名詞とされます。しかし「満開(の時期)が」「最高(の点数)が」「唯一(のもの)が」のように、主格になりません。名詞の機能を再検討する必要がありそうです。

      

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