■論理的な司馬遼太郎の文章:どのように論理性を獲得するか

1 論理はレンガのように乾燥したもの

司馬遼太郎は『以下、無用のことながら』所収「日韓断想」で、日本語は[ハリガネ細工のようにくねくねしていて、構造として論理的でない]、この構造では[思考が乾くいとまがない]と記しました。[論理は、レンガのように乾燥したもの]だと言うのです。

では、司馬はどんな風に思考するのでしょうか。『司馬遼太郎という人』で和田宏が司馬の言葉を伝えています。[物事を考えるのには、論理的に考えてゆくのが一番の近道だ]というものです。司馬の文章は何でわかりやすいか…の解答にもなっています。

論理的だからわかりやすい、頭に入りやすいということです。和田は、司馬の手紙を紹介しています。[故岡潔博士が『あなたの文章が作家、学者を入れて、いちばん数学のできる人の文章だ』と]言ってくださったと、連載担当者だった福島靖男に書いたそうです。

[岡さんは高名な数学者だから、この話は司馬さんの文章が論理的であることを証明することになりそうだ]と和田は記しています。ではどうすればよいのか。[論理的に考えるには、日ごろからそのように話す癖をつければいい]。これは司馬の言葉です。

 

2 頭の中で「ある人」に理解してもらう

頭の中を整理することは、学者でもビジネス人でも当然、要求されることです。学者の論文やビジネス文書が論理的でなくてはならないのは、いうまでもありません。論理的とは、わかりやすい筋道が作られていることです。和田は自分の方法を示します。

▼たしかに誰かに話してみるというのは有効ではあるが、実際にはそんなことにいちいち付き合ってくれる相手はいないし、人には言えないことだってある。そこで私は頭の中で、ある人に理解してもらうとしたらどう語ればいいかというシミュレーションをすることにした。 『司馬遼太郎という人』

「ある人」は、[現実の人で][尊敬できる目上の人がいい]と和田は条件を示し、[私は司馬さんにこの頭の中の「ある人」になってもらい、そのときの問題をこの人に話すとしたら、どういう手順で、いかに要約するかを想定することにした]と書いています。

「ある人」を想定し、その人に向けて、頭の中で筋道を立てて話していくということは、役に立つでしょうし、実践可能な方法だといえるでしょう。私自身、実践してみようと思いました。いま「ある人」を誰にするか、ちょっと考えてみたところです。

 

3 文章の自己評価が必要

司馬は『以下、無用のことながら』所収の文章で、[自分の日本語文章を、何とか乾いた言語にし、しかも日本語の情緒的特質を失うことなく、論理的な明晰さ]に近づけたいと記していました。意識しないと、情緒に流れます。日頃からの癖が必要です。

そのためにも、私たちには自己検証が必要だろうと思います。自分の思うところを筋道を立てて話したなら、そのいくつかを書いてみる必要があるでしょう。話したものは消えてしまいますが、書いたものは反復して読み返せます。検証に便利です。

思考が論理的であるかどうかは、文章を読めば、ある程度わかるものでしょう。実際、司馬の文章は岡潔から評価されました。私たちは、ひとまず「ある人」たる自分を使って、自分の文章を評価することが必要です。書くことが不可欠だということでもあります。

 

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