■森口親司「随想『評伝 小室直樹』が問いかけるもの」を参考にして その2

4 小室の本は現役

学者の活動は、その人が亡くなった後まで評価が続くことになります。残された文章がその人の業績を評価する主な基準となるでしょう。その人が現在どうであるかは、ひとまず問われない。書かれた文章は残ります。それが評価対象として生き延びます。

そうなると、時間がたつほどに、その人の肩書がどうであったかよりも、内容が問われることになってきます。書かれたものの時代的な制約があったとしても、結局は、読んでどうですか、役立ちますか、おもしろいですかということになるでしょう。

小室直樹の場合、まだ本は現役です。このことを森口親司は、きちんと見ています。[読者に「目からウロコが落ちた」と感動させる力を、小室は晩年でもなお保っていたのである]と書いています。そうなると、なにが「痛ましい晩年」なのかということです。

 

5 評価対象となる小室直樹

1980年に『ソビエト帝国の崩壊』がベストセラーになっています。それから20年にわたってたくさんの本を書いています。その中で、生き延びている本が何冊もあります。お見事というしかないでしょう。よほどの学者でも、主著さえ読まれなくなるのが普通です。

森口親司という学者が、どれだけ偉いのかさえ私には評価できないのですが、この人の本は、もう読まれていません。おそらく学問的な価値は、別なのかもしれないのです。しかし本でも論文でも、価値があるのに読まれないとしたら、痛ましいことでしょう。

文章に残されたものが、読まれなくなったら、評価はなされなくなります。逆に言えば、学者だろうが、作家だろうか、どんな立場の人であっても、その人の書いた文章が読まれる限り、その人の文章は死んでいません。小室の場合、文章はまだ現役です。

小室直樹が学者であったかどうかわかりませんが、自分の先生であると慕う学者の数でも、並みの学者を超えています。「学者としての」という枠が外れていき、今後、個人の業績と教育者としての評価がなされるでしょう。評価対象として生き延びているのです。

 

6 ソビエト崩壊の着想

小室直樹の評価は、まだ今後を待つことができます。文章が読まれる限り、その評価は今後も続くことになるでしょう。ピーター・ドラッカーは自分をライターだと認識していましたし、学者的ではなかったのですが、読まれることに意識があったように思います。

体系的なマネジメントの本で、いまも現役の本として『現代の経営』は読まれています。この本の地位は確立しています。ドラッカーの評価はもはや確立していると言っていいでしょう。こうやって読まれる本がある人は例外です。圧倒的な人のみです。

小室直樹の場合、今後も読まれる本があるのかどうか。いまはまだ、ベストセラーの余韻かもしれないのです。今後も生き残るのかが問題でしょう。森口親司もそれがわかっているはずです。だからこそ、1980年の『ソビエト帝国の崩壊』に言及しています。

小室は、フルシチョフ書記長の「スターリン批判」があって間もなく、1956年に論文「スターリン批判からソ連の崩壊へ」を書いたとのこと。小室は「スターリン批判」の意義について、まだ大雑把だったにしろ洞察を得たのです。森口氏は一筆書きします。

[中央集権的組織では、リーダーが過ちを犯してその「無謬性の神話」が崩れるとき、組織の維持は困難となり、崩壊にいたる]というものだったそうです。この時点では、まだ単純すぎたでしょう。この論文を審査した市村真一氏も否定的だったとのこと。

[師の市村真一氏は「崩壊と一口にいってもソ連の何がどのように崩壊するというのか、具体性に欠けている」と指摘した]と森口親司は書いています。貴重な証言です。「この指摘は、1980年の崩壊予言にもあてはまる」とのコメントも大切なものだと思います。

 

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