■『現代の経営』の結論 :リーダーになってしまった人へ その25

1 公共の利益を企業の利益とする

ドラッカーが『現代の経営』の最終書「結論」で述べたことは、その後も変わらない考えの基礎になっている。1954年刊行の本の最後で、まだ実現していない新しい思想として、「公共の利益が企業の利益となるようマネジメントせよ」の実現に期待した。

現実が、ドラッカーに追いついてきた。[最も重要な結論は、社会のリーダー的存在としてのマネジメントの社会的責任とは、公共の利益をもって企業の利益にするということである](p.277:『現代の経営』下 名著集3)。現代では、当然のことになった。

資本主義の精神たる「経済人」のモデルは、目標を立てる際に必要となる。その前提として、それぞれの組織の目的である使命(ミッション)を明確にすることから始める必要がある。組織のありようについて、大切な人たちにどう思ってもらいたいかが基本になる。

 

2 目的・目標・手段に分かれる理由

リーダーは個人の良心に従って、使命を考える。社会的責任を持った組織にふさわしい使命を設定する必要がある。その使命があるからこそ、目標が導き出されることになる。その目的・使命がなくては、目標が「公共の利益」に合致するか、確認できない。

目的と手段に二分される概念を、マネジメントでは、「目的→目標→手段」と3つに分ける必要があった。主観と客観を分けて考えることが合理的であるからである。とくに、よき意図の確認が必要なためであった。岩崎武雄が『哲学のすすめ』で言う通りである。

▼われわれはこの点で二つの誤りを犯しがちです。その一つは、目的さえきまれば、それですぐどう行為すべきかがわかると考える誤りです。もう一つは、これとは反対に、事実についての科学的知識のみで、どう行為すべきかを十分に決定しうると考える誤りです。 p.58:『哲学のすすめ』

従来からの成果を数字に表して、そのトレンドから、次の目標値を目指すという発想は、現在でもめずらしくない。何でその数字が出てきたかと言えば、従来のデータから合理的に期待できる数字と判断されたからである。ただ、それでは不十分ということになる。

 

3 論理性に先立つ倫理性

企業に倫理を求めるのは、ある種、あたりまえのことである。だが、マネジメントに倫理を求めると、やはり論理性が弱いという評価になりがちである。実際、ドラッカーの著作はMBAの教科書としてあまり採用されていない。しかしどちらが長生きするだろうか。

▼資本主義は、それが非効率であったり誤って機能したために攻撃されているのではない。倫理性を欠くことについて攻撃されているのである。そしてまったくのところ、私人の悪徳が公共の利益になるなどという思想に基づく社会は、それがいかに論理的に完全であろうとも、その利益がいかに大きくあろうとも永続することはできない。 p.279:『現代の経営』下

ドラッカーの結論を、リーダーは十分に理解しておくべきだろうと思われる。[社会にとってよいことを企業にとってよいことにするには、懸命な仕事、優れたマネジメント、高度の責任感、大きなビジョンが必要である。それは完全の追求である](p.278:下)。

こうした点を意識しなくては、優れたリーダーを評価することさえできそうにない。合理性、数量化は必要不可欠なものであり、この客観性が大きな発展を支えてきた。しかしそれだけでは不十分である。倫理性なしに、実力を発揮するのはむずかしいことであろう。

 

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