■目的・目標と価値評価 :リーダーになってしまった人へ その24

1 数字で表すことが一番

ビジネスにおいて合理的であることは、不可欠な要素としてあげられる。私たちは何らかの客観的な基準なしに、計画を進めていくことはできない。少なくとも、それなしに行動しなくてはならないときに、不安を感じることが自然である。

小室直樹は『論理の方法』で、目的合理的であるということを[ある目的を達成するためにすべての手段を整合するという意味](p.224)であると説明している。ここにあるのは目的と手段であり、その際、重要になるのは客観性ということであった。

▼目的合理性の極端なものは形式合理性と言い、簡単に言えば数学で表すということです。例えば「利潤の最大化」という場合何をどのようにして利潤を最大にできるのかを計算で決めるのが一番いい。計算で決められなくてもきちんと決める、これが資本主義の精神の第一の要因です。 p.228『論理の方法』

マネジメントにおける「目的→目標→手段」が「目的(目標)→手段」という形式で捉えられている。この図式は哲学の場合でも同様であった。しかし岩崎武雄は『哲学のすすめ』で[科学知識自身は目的をきめることができません](p.53)と記しているのである。

 

2 価値判断を排除した社会科学の「目的」

経済学は科学であるために「価値判断」を排除した。岩崎武雄もその点を指摘する。[マックス=ウェーバー(1864-1920)が、この意味において社会科学は「価値からの自由」という態度をとらなければならないと強調したのは、きわめて有名です](p.134)。

しかし[科学的知識はひとたび目的がきまったあとで、それではその目的を達成するにはどうすればよいかという手段についてのみ、その意義を有する](p.53)と岩崎は言う。「経済人(資本主義の精神)」での「目的」は哲学における目的とは違ったものである。

岩崎は誤りがちな考え方として、[目的さえわかれば、それですぐ具体的にどう行為すべきかもわかる]という考え方をあげている。[世界平和の確保という目的が正しいとすれば、どういう行為をすべきかと言うことがただちに決定される](p.59)はずはない。

つまり[目的をきめるということは、目的について価値判断を下すこと]であり、それは信念などの原理的な価値判断に基づいている。一方[具体的な事物についての価値判断]は[科学的知識を書いては決定することができない](pp..56-57)ということである。

 

3 『現代の経営』の結論

マネジメントにおける「目的」は、リーダーの信念などの原理的な価値判断に基づいて決定され、その目的を達成するための[具体的な事物についての価値判断]に基づいて「目標」が決まることになる。さらに合理性に基づいて「手段」が決定されるのである。

資本主義の精神をもった「経済人」の「目的合理性」とは[人生観との結びつきをもたなくなった]「目的」である。これはマネジメントの「目的」ではない。リーダーの信念に基づく「目的」を「具体的な事物」にしたマネジメントの「目標」ということになる。

数字の目標が独り歩きすることは、経営にとってもリスクである。しかしその傾向は今でも見られる。ドラッカーは1954年に『現代の経営』最終章「結論」で、「目的」なき資本主義の精神による経営では、もはや社会では機能しない点を指摘していたのである。

 

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