■哲学と科学そしてマネジメント :リーダーになってしまった人へ その17

1 哲学と科学

岩崎武雄は『哲学のすすめ』で、[われわれの生活の根底には、たとえ無自覚的にせよ、人生観というものが存しており、これがすなわち哲学に外ならない](p.28)と言う。ところが科学の進歩により、哲学の役割が変わってきたことを指摘する。

万学の女王であった[哲学は科学によってしだいにその地位を奪われ]た(p.31)。[哲学から先ず独立していったのが自然科学](p.32)であり、[経済学はやがて哲学から独立の科学となり][社会学が][心理学も][科学として独立](p.33)したのだった。

科学が哲学と違うのは、[事実がいかにあるかを、そのあるがままに記述するところにある](p.35)。したがって[どこまでも事実がいかにあるかということのみを問題とする科学は、価値の問題については何らの解答をも与えない](p.36)ということになる。

 

2 「事実の問題」と「価値の問題」

哲学と科学の違いは、[事実の問題と価値の問題]である。[事実の問題は、「いかにあるか」ということです。これに対して、価値の問題は、「いかにあるべきか」ということです](p.37)。経済学と違い、マネジメントでは「いかにあるべきか」が問われる。

合成の誤謬に対するアプローチでも、経済学では、ケネス・ヨセフ・アローが一定の条件下で、合成の誤謬が成り立つことを証明したことが基礎になる。ところがマネジメントの場合、倫理性が問われ、私人の徳を社会の福利の基礎とすることが求められる。

個人あるいは組織としての行動が、社会全体の要求、要請に適うか…という判断が不可欠になっている。[公共の利益が自らの利益を決定する](p.279:『現代の経営』下・名著集)のである。これがマネジメントにおける「人生観というもの」になるだろう。

 

3 「目標との比較」という方法

マネジメントでは、価値判断を排除することはできない。「いかにあるべきか」が問われるということは、この「いかにあるべきか」というものが、具体的にどういう状態のものであるか…ということの明確化が求められるということである。客観化が必要になる。

組織として行動する場合、個別具体的な個人個人の強みを生かすためにも、各人に進むべきゴール、目標を明確にすることが効果的であろう。役割の自覚が不可欠になるからである。ここから目標の性格が決まってくる。『ハードワーク』に示された通りである。

エディー・ジョーンズは言う、[目標は漠然としたものや、抽象的なものではいけません。数字などで具体的に表現され、結果が出たとき達成できたかどうか、はっきりわかるものでなければなりません](p.16:2016年版『ハードワーク』)。これに尽きている。

現在地から別の場所に行く場合、「いかにあるべきか」の具体的地点を明示しなくてはならない。これが結果の判断基準になる。結果とは「いかにあるか」という「事実の問題」であって、結果の「価値の問題」は、目標との比較という方法で判断されるのである。

 

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