■哲学と科学 :リーダーになってしまった人へ その6

1 哲学からの独立

全ての学問は、哲学から生まれてきたという言い方がなされる。この点、厳格に詰めた話をするのは無理なことなので、哲学の基礎について書かれた入門書で確認しておきたい。岩崎武雄の『哲学のすすめ』という、わかりやすい哲学入門の本がある。

[われわれの生活の根底には、たとえ無自覚的にせよ、人生観というものが存しており、これがすなわち哲学に外ならない](p.28)。ところで、科学というのは、人生観と全く別のもののように見える。しかし本当にそうなのか?

岩崎は指摘する。[現代のように科学が発展してくると、科学的知識を基礎にしない人生観など、なんの意義ももたないとも考えられてきます](p.29)。[科学の進歩は人生観というものに対して、大きな影響を与える](p.30)。その通りであろう。

[古代や中世では、自然研究は哲学の一部]だった。それが[哲学からまず独立していったのが自然科学である]。[ただ自然現象が事実どういうあり方で存在するか、ということを研究しました](p.32)。哲学からの独立は、自然科学だけにとどまらなかった。

 

2 あるがままに記述する科学

経済学も社会学も、哲学から独立していき、[哲学と密接に結びついていた心理学も、ヴント(1832-1920)などによって実験心理学として確立し、科学として独立してゆきました](p.33)。

では、科学の本質とは何であるのか。[事実がいかにあるかを、そのあるがままに記述するところにある](pp..34-35)ということである。これによってわかることは何か? わたしたちは科学だけでは、生きていけないということであろう。

自分あるいはそれぞれの人が、いかに生きたいか、なぜそうしたいのかを考慮することなしに、事実がこうであるから、こうしなくてはいけないと強要されてはたまらない。こうした科学万能に対して、拒否することを明確にしているのがマネジメントである。

 

3 「なぜ」と「いかに」

マネジメントの体系は、3つに分けて考えるべきであろう。最初に、目的を問う。なぜそれをしようとするのか。それによって、自分達はどういう存在であると、自分にとって大切な人たちに、どう思われたいかを問うことになる。

しかし、これだけでは不十分である。何らかの客観化した指標がなくては、焦点が定まらない。私たちは放っておくとふらつく。客観化したものが必要であり、それが目標である。個別具体的に、どうすべきかを明示しておくことが必要になってくる。

哲学は「なぜ」を問うてきた。[近世の自然科学は、「なぜ」という問いをやめて、ただ「いかに」と問うのみであり、この問い方の転換が自然科学を成功させたのだ、といわれます](p.35)。「なぜ」と「いかに」は、両方必要だということになるのである。

 

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