■リーダーの練習:自分のマネジメント

1 リーダー経験の必要性

ほとんどの人が会社のリーダーではありませんし、業界のリーダーでもないでしょう。多くの人は、小さなグループのリーダーか、リーダーになっていないはずです。それでも素晴らしいリーダーがいることなら、知っているはずです。

リーダーとして慕われている人のなかには、忙しいはずなのに様々な会を主催している人がいます。これはめずらしいことではありません。かなり多くの人たちが自分の会を作って運営したり、若者をリーダーにすえて後見人になっています。

こうしたリーダーの方から、小さな集団でもリーダーの経験をしておく必要があるというお話を、何度となく聞いたことがあります。リーダーとされる人が身近に何人かいましたから、私自身それが当然だと思っていましたし、実際に自分で会をつくってきました。

リーダーたちがリーダーの経験をしろというのは、よくわかります。自分の思った通りにはいきませんし、自分自身のマネジメントさえ、情けないくらいに上手くいきません。失敗すると、もっと練習しなくちゃダメだと言われました。その通りだと思います。

リーダーにならないとリーダーの気持ちは分からないのだと、ずいぶん前に言われたことがありました。何だかご本人が身に染みている風の言い方だったので、印象に残っています。たいてい面倒なことばっかりだよ、それをやらなくてはとおっしゃいました。

 

2 練習不足が生むお山の大将

組織の目標やミッションなど、自分が立てるものではないという意識でいる人と、自分が立てようとして苦労した人とでは、受け止め方が違うのは当然です。小さな成果でも、何もないところから始めたときには、何とも言えないうれしさがあります。

そして小さな組織であっても、成功にはいくつかの要因があるはずなのですが、最大の成功要因が自分にあると思いたくなるのです。しばしばお山の大将になりたい誘惑にかられます。その反動なのか、そういう事例にひどく冷淡になるのがリーダーです。

お山の大将になる人は練習不足ということでしょう。小さな組織での小さな成果でさえ、そんな気にさせるものですから、そこで馬鹿げたことだと身に染みて感じていれば、そんなことにはならないはずなのです。これは言うまでもないことかもしれません。

自分一人だけで自分のマネジメントができるようになる人は、残念ながら、ごく少数の例外的な人であろうと思います。お話をしていて、教えを乞いたくなる方々は、自分一人でやっているものに関して、マネジメントを絡めて話すことはまずありません。

自分をマネジメントしようとする人は、面倒を引き受ける必要があるというのが原則でしょう。小さな集団であっても組織化する練習が必要なのだと思います。たぶんマネジメントというのは、仮想でも何でも、自分以外の存在が必要とされるものなのです。

 

3 ドラッカーの変遷

リーダーの練習が必要なことであると感じる者からすると、ドラッカーの本を読むと、ドラッカーの変遷を感じてきます。たとえばドラッカーが56歳の仕事盛りだった1966年に書かれた『経営者の条件』も、そうした変遷を感じさせる本です。

2006年出版の日本語訳(エターナル版)の「訳者あとがき」に、上田惇生は[現代の働く人たち全員のために書いた万人のための帝王学が本書『経営者の条件』である]と記しています。この版には、1985年の「まえがき」と2004年の「序章」が加わりました。

「まえがき」で、この本は普通のマネジメントの本と違って[自らをマネジメントする方法について書いた]と記し、[ほかの人間をマネジメントできるなどということは証明されていない]とまで書いています。どういうことであるか、それが以下です。

▼そもそも自らをマネジメントできない者が、部下や同僚をマネジメントできるはずがない。マネジメントとは、模範となることによって行うものである。自らの仕事で業績を上げられない者は、悪しき手本となるだけである。 p.iii まえがき

その通りだと思います。しかし出版された1966年にこうした考えであったかどうかは、微妙な問題です。日本でこの本が初めて翻訳されたのは、アメリカ版の出版よりも約4か月前の1966年11月のことでした。野田一夫・川村欣也の訳で出版されています。

初版の序章は[「効果的な経営者の条件とはなんであるか」といった問題について、私が…]と書き出されています。「効果的な経営者」とは原題「The Effective Executive」のことであり、この書き出しのために『経営者の条件』という題名になったようです。

初版の序章でドラッカーは、[本書はこの主題に関する<最初の所論>にすぎないものである]と記しています。さらに[この本がこの主題に関する<最終的研究>とならないように願うものである](p.5)と書いているのです。

ここには、すぐれた経営者なら、他の人をマネジメントできるというトーンがありました。[われわれの生存そのものが、まさにこのような組織体における効果的な経営者にかかっているといっても過言ではないのである](p.5)という言い方もなされています。

もともとドラッカー自身が、この分野はまだこれから発展させていかなくてはならないと記していたことでした。ドラッカーは約束通り、この主題を発展させたということだと思います。そこにはリーダーの練習という要素が絡んでいるように感じるのです。

 

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