■日本語の文章:論理の基礎 その3

1 論理的な記述の基礎

日本語を論理的に記述するための基礎となったのが「主語-述語」の構造です。文で記述される内容が、何を対象としているのかを明確にする必要があります。この点、英語などの言語では主語を省略しないのが原則です。主語と述語が対等に記述されています。

日本語の場合、語られる内容が何についてであるのか、あえて記述してなくても不適切な文とは言えません。逆に文の主役を記述しなくても読む側がわかる場合には、省略することが必要になります。繰り返し記述されると、かえってうるさく感じるはずです。

一方、述語は文末に置かれて原則として省略されることはありません。日本語の場合、何に対する言及であるかがわかりあえる親しい間なら、ほとんど述語だけでやりとりが成立してしまうでしょう。文末に意味内容の中核部分が置かれているということです。

日本語では述語が明確なため、「主語-述語」の構造とは、主語を意識しているかどうかの問題になります。主語を記述しなくてもよい形式の文章では、ことさら主語を意識することもないのでしょう。主語を明確にする発想が育ちにくかったのかもしれません。

 

2 英語から構造を学ぶ合理性

論理的な内容を含む文章を書く場合、江戸時代の伊藤仁斎らが行ったように、しばしば漢文での記述になりました。日本語文よりも、漢文の方が論理的な記述に向いていたということでしょう。しかし近代化を推進するうち、漢文では適応できなくなりました。

加地伸行は『漢文法基礎』で、漢文の構造を見ると「主語-述語」が明確なように思うだろうが、実際は違うと指摘しています。主語概念の明確さからすると、「英語>漢文>日本語」になりますが、二分するなら「英語>漢文・日本語」になるという指摘です。

論理性を獲得するために、日本語に「主語-述語」の構造を導入しようとする場合、英語などのヨーロッパ語から学ぶのが合理的でした。しかし英語のように主語と述語が対等な構造の言語ではないので、別な方法で日本語の主語を明確にする必要があったのです。

 

3 小学校教科書の主語・述語の説明

日本語で主語を表すときに助詞を目印にし始めたのは、鎌倉時代のようです。山口仲美は『日本語の歴史』で[文の構造を助詞で明示するようになってきたのです。とりわけ、鎌倉時代に入ると、主語を示す「が」が発達してきました](p.119)と記しています。

ただ「我が家」というときの「が」は主語を表していませんし、助詞「は」も加地伸行が『漢文法基礎』に記す通り、[「は」も主語を表すわけではない。元来は区別を表す言葉だ。「これは…、あれは-」とはっきりものを分けることば](p.37)でした。

主語には助詞「は・が」が接続するという認識は、国語教科書により固定化したようです。現在の小学校教科書でも、主語とは[「だれが(は)…どうした」、「何が…どうする」の「だれが(は)」「何が(は)」に当たることば](光村出版「こくご 二下」)です。

一方の述語は[「だれが(は)…どうした」、「何が…どうする」の「どうした(どうする)」に当たることば、また、「どんなだ」「なんだ」に当たることば]とあります。主語と述語は連携し、両者には対応関係があるということが前提になっているのです。

(この項続きます。) ⇒ 【その1】 ・ 【その2】 ・ 【その4】

 

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