■「です・ます」「である・だ」の使い分け:「名詞文/形容詞文/動詞文」への疑問

1 不明確な品詞の定義

日本語のバイエルというサイトに、日本語文法の通説に対する疑問を書きました。先日のご質問「この本は面白い」と「この本は面白かった」の例文もそこで使ったものです。通説の疑問点を中心に書いたせいか、日本語は難しい…との感想があったため追記します。

私たちが文章を書いたり読んだりするときの頭の働かせ方と、従来の文法の枠組みには、ズレがかなりあります。質問にも「形容詞が述語の文」とありました。読み書きの際に品詞を基準にしているでしょうか。品詞に基づいた文の分類は意味がないように思います。

講義で「満開」の品詞を聞いてみると、なんだか自信なさげに「名詞ですか…」と答える学生がみられます。答えた学生に対して、本当に名詞でいいの、「満開が」と言えなくても問題ないの…と確認してみると、ああ形容詞ですね…と答える場合さえあります。

名詞の定義に微妙なところがありますから、自信がないのでしょう。焦ると妙なことを言い始めます。<文末が「い」ですから形容詞で間違いありません…>。「まんかい」ですから、語尾は「い」で終わっています。しかし形容詞ではなくて、たぶん名詞です。

2 「です・ます」の使い分け

私たちは「です・ます体」という言い方をします。ご存知の通り、文末が「です・ます」の文章のことです。文章が書ける人ならば、この「です」と「ます」の使い分けは出来ています。「満開です」と言うことは可能ですが、「満開ます」とは言いません。

「行きます」「帰ります」「あります」など、「ます」は動詞につきます。「です」のほうは、名詞につくのはたしかなようです。ただ名詞だけではありません。「美しいです」「優しいです」「おいしいです」のように形容詞にも「です」がつきます。

「です・ます」の使い分けが自然にできるからこそ、文章がすらすら書けるということです。私たちは語句の接続のさせ方を、感覚的に使い分けて書いているということになります。品詞は後からの説明に使われる概念です。分析的で機械的といえます。

日本語の文章では文末が重要ですから、文末に「です」のつく語句が来るか、「ます」のつく語句が来るかで文型を考えるのが自然でしょう。文末の中核語句の品詞に基づいて、「名詞文/形容詞文/動詞文」と分類するのは読み書きとは直接関係ないことです。

3 接続形式による3分類

文型を2分するのが「です/ます」だとすると、「である」や「だ」という文末をどう扱うべきでしょうか。「である」と「だ」は同じ形式の接続の仕方をします。そして「です」に対する「ます」のようなペアになるものが「である・だ」には存在しません。

「満開・きれい・優しい・おいしい」を見てみましょう。これらはすべて「です」が接続する語句です。ただ「満開である・満開だ」や「きれいである・きれいだ」と言えますが、「優しいである・優しいだ」や「おいしいである・おいしいだ」とは言えません。

「である・だ」の接続する語句の範囲は、「です」よりも狭いということです。「です」接続が可能な語句のうち、「である・だ」接続ができる語句と出来ない語句が出てきます。「優しい」「おいしい」など形容詞の場合、「である・だ」接続が出来ません。

語句の接続を見ると、まず「です」と「ます」がつくかどうかで分類できます。さらに「です」の中で、「である・だ」がつくかどうかで分類が可能です。(1)接続可能なのが「です・である・だ」、(2)「です」のみ、(3)「ます」のみ…の3分類になります。

この3分類が名詞・形容詞・動詞に該当するなら、話は簡単なのです。しかし(1)にあたる「きれい」が名詞だと言う人は少数でしょう。「ぐちゃぐちゃ」も名詞扱いされていません。接続と品詞にずれがあるのです。私たちは接続の形式のほうを優先しています。

【文章の幹と枝の関係:後ろに重点が置かれる日本語の構造】…につづく

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