■堺屋太一『知価革命』のエッセンス

 

1 ドラッカーが誤読した『知価革命』

堺屋太一の『知価革命』は簡単に理解できる本ではありません。先日触れたように後の解説のほうが、概念がシンプルで説明の仕方もわかりやすくなっています。出版当時はまだ概念の整理が不十分だったようです。ドラッカーも『知価革命』を誤読しています。

▼『知価革命』(PHP研究所、1985年)が予測するような物質的価値や技術の否定、すなわち「中世への回帰」は、起こらないであろう。情報と技術の世界中への伝播が、これを不可能としている。  『ポスト資本主義社会』

堺屋は「物質的価値や技術の否定」などしていません。[技術進歩の方向が変化した]1980年代、[科学技術の進歩に再び明るい予想が持たれるようになっているのは、人々の欲求と科学時術の進歩の方向とが一致した結果](『知価革命』p.131)と書きました。

ドラッカーが読み間違えたのも、『知価革命』の記述の仕方が明快でなかったことも原因の一つだったかもしれません。しかしこの本には、他の本で代替できない重要な分析が示されていました。現在のビジネスを考えるうえで欠かせない分析というべきでしょう。

 

2 属人化の要因

『知価革命』で特に読むべきところは、p.210~212とp.237~250のあわせて十数ページの部分だと思います。極端な言い方をすれば、これ以外の部分については、後に出版された『大激震』などでなされている、ご本人の解説を読ん方が効率的かもしれません。

堺屋は[「知価革命」の「生産手段」が、主として知識と経験と感覚という属人的なものであることは、生産組織にも重大な変化を生む]と指摘します。工業社会の大規模な[生産手段を中核とした組織が生まれ、かつ主流]だった時代が変化しました(p.243)。

[真の生産手段である][知識と経験と感覚]を生産するのに必要な、机や製図用具、カメラ、パソコンなど、[この程度のものは個人で買えなくはない]から、[資本と労働との分離の傾向が逆転、両者が一体化される傾向に向かう](p.240)ことになります。

ここから属人化の傾向が生まれ組織の変化が起こります。フィルハーモニー型の組織なら指揮者やコンサートマスターが変わっても[伝統と資産と名称を維持]できますが、知価社会では[中心人物の退場はかなりの程度の打撃を組織に与える](p.244)のです。

[「知価社会」の組織では、その中心となる個人が大きな役割を果たすことになる]ので、[属人化する傾向を帯びる](p.245)のです。組織の属人化が良い属人化なのか、そうでない属人化なのか、もう一度、私たちは考え直さないといけなくなっています。

 

3 「知識社会」でなく「知価社会」

知価とは「知識」ではありません。[弁護士とか会計士とか各種のコンサルタントのような職業は、専門知識という情報を売る「知識産業」である]が、[これら知識を単体で消費者に売る産業は、経済全体から見ればごく小さな分野に留まるに違いない](p.210)。

知価とは単なる知識ではなく創造に重点が置かれます。[物財に含まれているデザイン性やブランド・イメージ、高度な技術、あるいは特定の機能の創出といったことが、物財やサービス価格の中の大きな比重を占めるようになるということだ](p.210)。

進歩のベクトルが[大量化・大型化・高速化]から[多様化・情報化・省資源化]に変わり(p.130)、その結果[好みのデザインや高級イメージのブランド、高級な技術、特殊な機能のある商品を高価で買い入れ、長く使う消費パターンを持つようになる](p.210)。

「知識社会」以上に「知価社会」の概念は明確で様々な指針になるでしょう。『知価革命』とその解説、またプロデュースの「成功の方程式」を中心とした堺屋の著作のエッセンスは、日本のマネジメントの論考の中でも最重要なものと評価されるはずです。

 

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