■エコノミスト金森久雄の仕事:『嘆きの評論家』から

 

1 職業上最も大きな利益を得た本

金森久雄に『嘆きの評論家』という題名の本があります。金森を知る人なら、嘆きの評論家が金森のことでないのはわかるはずです。[私は評論家に非ず、エコノミストという科学者なのだ]と記しています。楽天的で強気の経済見通しをするエコノミストでした。金森が評論家のことを良く言わないのは、なぜか。[評論家の発言を聞いていて、ときどき不思議になるのは、そんなによくわかっているのなら、なぜ人の批評をしないで、自分でやらないのだろうか、ということである]。自分は実践してきたということです。

法学部出身の金森が、エコノミストとなって成功できたのは、「一生の伴侶となり糧となる本にめぐり合」ったためでした。[私が職業上最も大きな利益を得たのは、J・M・ケインズの『雇用・利子及び貨幣の一般理論』である]と記しています。

▼私は大学を出て商工省へ入るとすぐこれを読んだ。その頃、学者は別として役人では、これを読みこなしていた人はいなかったと思う。私は一知半解ではあったが、人より一歩先にケインズ理論を借りて日本経済を分析し、大分長い間、日本の官庁におけるケインズ経済学の家元のような顔ができたのはありがたかった。 p.37 『嘆きの評論家』

 

2 ケインズ理論を適用した分析

ケインズの『一般理論』を[読んでみると、第一ページからさっぱりわからない]。しかし鬼頭仁三郎の簡潔なケインズ経済学の解説書を読んだら、[エッセンスが呑み込めた]のです。[私は世の中に、こんな面白い本があるかと驚いてしまった]のでした。

金森は『一般理論』を[読了した日を巻末に鉛筆で記したが、それは昭和25年10月2日となっている]。この年の夏に朝鮮戦争が起きています。[朝鮮特需によって設備投資が急増し、生産が増えた]のです。このときケインズ理論を適用した分析を行いました。

▼当時日本のエコノミストの多くは、供給力が増えたために生産過剰恐慌の危険があるといった。私は経済安定本部にいたが、設備投資が増えれば国全体ではその三倍ぐらいの需要が発生し、需要超過になるといった。これはケインズの乗数理論を応用した分析である。 p.39 『嘆きの評論家』

分析の結果は明らかでした。[私の予言が的中したのは嬉しかった]。これが契機になって、[私はエコノミスト仲間に知られるようになり、結局、私もエコノミストの道を進むことになった。ケインズの『一般理論』が私の人生のコースを決定したのだ]。

 

3 第一流の本を選んだ金森久雄

経済予測のとき、打席に立って明確な数字で語ると、打率が明確になります。金森は振り返って言います。[その予測も50%ぐらいははずれている]。高打率というべきです。ご本人は謙遜して、法学部時代の東畑精一の「経済政策」のおかげだと記しています。

東畑は「明日もまた今日のごとし」というのが的中率の一番高い天気予報だとの説を示しました。理由は[天気も世の中も継続することのほうが多いから]です。小さな現象を[「構造変化」とか「曲がり角」などと言いたがる]のは大局が見えていないからです。

▼経済は早急に変化するものではない。私は50年間、曲がり角論に反対して、日本経済は今後もこれまでのように成長します、と千篇一律にいい続けて成功した。東畑先生のおかげである。 p.106 『嘆きの評論家』

戦後の日本を代表するエコノミストがプロの仕事をするために行ったことは、一流の本を読むことでした。大学時代にマルクスの『資本論』を、役所に入ってからケインズの『一般理論』、そしてシュンペーター『経済発展の理論』を読んだということです。

金森は[経済学の大山脈を尾根づたいに歩いたようなものである。どれだけ理解できたかわからないが、第一流の本を選んできた]と言います。古典といわれる本をきっちり読むことが大切だとあらためて思いました。9月15日没、94歳だったとのことです。

⇒ 金森久雄の勉強法:『大経済学者に学べ』から

 

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