■筆記試験と社内教育の変化:エリート教育としての読み書き

 

1 シンプル化する言語分野の筆記試験

今年の就職活動ももう終盤になりました。筆記対策のここ数年の変化を見ておいてもよいかもしれません。ずいぶん試験問題の傾向が変わってきています。世の中が大きく変化していますから、選抜の方法が変わらなくてはおかしいのかもしれません。

たとえば漢字の書き取り能力を見る問題が、姿を消しているのです。この話をすると、どうしてですかとお聞きになる人が必ずいます。そういうとき、どうしてだと思いますか、漢字が書けないと困りますか…とお聞きすると、ああそうですね、とおっしゃいます。

スマートフォンの普及により、漢字が書けなくても読めれば、何とかなります。したがって漢字の書き取り能力を重視する必要がなくなったのです。文章を書くときにPCなどの電子媒体を使うのが一般的になると、手書きのときと発想が違ってきます。

同じように姿を消していくのが、同音異義語に関連した問題です。同音異義語自体、今後減らしていく必要があります。ひらがなで書いたときに、同じになる言葉はあまり多すぎないほうがよいのです。あえて筆記試験で問う必要がなくなってきています。

文中の「ふどう」が「不動」なのか「浮動」なのかを聞く設問も、そろそろ消滅時期でしょう。「浮動」の場合、「浮動票」などの語句が残るだけになって、「ふどう」とあったら「不動の一番」のように、「不動」を使うのが一般化していく気がします。

言語分野の筆記問題がシンプルになってきました。文がどういう意味なのか、こういう言い方は何を意図してのものか…といった問題が中心になってきています。その結果、小中学校レベルの文章読解ができない学生が多数いることが明らかになりました。

 

2 文章の指導者不足

若者の文章力の低下が言われ、作文教育の重要性が一部で言われています。作文が重要なのは確かでしょう。しかし深刻な問題があるのです。作文を指導している人たちのレベルがどのくらいのものなのか、適格性があるのか、確認してみる必要があります。

学生から文才がないと言われる教師が作文を指導することがめずらしくありません。添削された作文をもって、やってられないと言ってくる学生が例年何人もいます。ウソのような話ですが、その先生のレベルに合わせて、拙い文章を書く練習をしているのです。

こんな冗談のような話は例外中の例外なのでしょうか。残念ながら、特別な先生の特別な事例ではありません。学校の先生なら、作文は誰でも指導できると勘違いしている学校はまだたくさんあります。作文指導のできる教師はかなり少数というのが現実です。

これは企業側でも問題になっています。選抜する側にいるうちは、何とかなります。文章というのは不思議なもので、自分でしっかり書けなくても、人の書いたものの良し悪しは何となくわかります。しかし、担当者はきちんとした文章が書けているのでしょうか。

 

3 エリート教育の中核になる読み書き

企業の社内教育で、今も昔も基本になるのが文章力です。文章が書けないと言う人がどんどん増えています。教室で文章が苦手な人と聞くと、8割の学生が手を上げることもめずらしくない状況です。これからこうした学生が会社にやってきます。

なぜ書けないのでしょうか。書くことがないというのが多くの答えです。あるいは書き方が分からないというのが理由です。こうした文章が書けないと言う人に対して、本を読んでいるのか、聞いてみると当然のように、本など読んでいません。

書けるようになるためには、それに先立って読むことが必要です。その意味で、就職試験の筆記問題が、読解中心になっているのはよい傾向だと思います。読めているかどうかを確認するために、読解問題は役立つからです。ただし対策はしばしば間違っています。

筆記対策と称して、読解問題ばかりをやる学校があります。それでは効果が限られます。本を読み、そして文章を書かなくては、実力はなかなかつきません。問題をやるのと、本を読むのでは文章に触れる量が違います。量が質に変わるということがあるのです。

企業での文章訓練でも、読解が出来ているかを確認する必要があります。文章を読む訓練を取り入れながら、書く訓練をする必要があるでしょう。一定レベルになれば一生モノです。あまりに短期では効果が限られますが、想像以上の短期間で効果は上がります。

AI技術の進歩に伴って、基本の読み書きの重要性がさらに高まってきています。その結果として、高いレベルの読み書き能力の養成がエリート教育の中核におかれることになるはずです。筆記問題の変化に続いて、社内教育が大きく変わることになるでしょう。

 

 

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