■中村幸彦「伊藤仁斎の思想」:テキストクリティークと祖述


 

1 特別な講演「伊藤仁斎の思想」

伊藤仁斎の文献を一番丁寧に読んだ学者は中村幸彦かもしれません。伊藤家にあった仁斎一族の文献が天理図書館に入ったとき、蔵書の整理をしたのが中村でした。中村幸彦は国文学者の中でも圧倒的な存在だと評価されています。それは私も知っていました。

「中村幸彦著述集」第11巻の巻頭に置かれたのが「伊藤仁斎の思想」です。伊藤仁斎研究の重要な文献に違いありません。私には理解できないことの多かった著述集の中でも、この40ページほどの文章は読めました。公開講座の講演録のためだろうと思います。

▼資料的には、または研究の面では、最も近いはずの、伊藤仁斎や上田秋成についても、何のまとまったものなく、今日に至ってしまった。私の伝記研究は失敗だったといってよい。 「中村幸彦著述集」第11巻 後記

研究論文ではありませんが、語るべき内容全般をまとめた特別な講演です。著述集という名の通り、自分の納得できるものを15巻にまとめています。同じ「大東急記念文庫」公開講座の講演録「近世文学の中の近松門左衛門」もすばらしい出来なのに未所収です。

 

2 仁斎のテクストクリティーク

中村は仁斎がどのくらいの人物であるか、簡潔に語り始めます。[仁斎という人は大変恐い人でありまして、朱子を掴まえましても、「朱子は孟子が読めておらない」という人であります]。なぜ仁斎は、朱子を否定できるほどの自信が持てたのでしょうか。

仁斎の考えた勉強法に「訳文」と「複文」を繰り返す方法があります。漢文を和訳し、その和訳したものを漢文に戻す方法です。こうやって漢文の文体を身につけていく方法を採用しています。この方法で[漢文の読書力及び作文力を養成]しました。

仁斎の漢文は吉川幸次郎の見立てでは、[江戸時代を通じて仁斎の上に出る人はないであろう。十分に中国人に通ずる文章である]とのこと。中村は[仁斎が新しい儒学を創造する一番初めに、この文体に対する感覚が大変に働いたのではないか]と指摘します。

朱子学に傾倒していた仁斎が[朱子及び宋代の程朱学者]の批判を始めます。[仁斎が一番初め宋学を疑って書いたのは、「大学は孔子の遺書に非ず」という文章であります]、[また『大学定本』という本の中にその理由が、更に詳に述べてあります]。

▼一番初めに、これはおかしいぞと仁斎が思ったのは、彼の文体の感覚からであろうと私は思います。どう考えても、これは『論語』の中に出てくる孔子の口ぶりと違うじゃないか、こんなものが果たして孔子の書物だろうかという――これをわれわれは書誌学的な外証といいますが、その外証から立ち入って今度は内証――内容の思想がどうだろうかと、内容での証拠を検討していった結果が、「大学は孔子の遺書に非ず」という文章になったと思うのであります。

テクストクリティーク・書誌学を[明確な意識において採用したのが仁斎であり]、[今から三百年前、そのころ西洋にあったかどうか私は知りませんが、東洋では][仁斎において初めて用いた方法であります]。これを『論語』『孟子』『中庸』でも行いました。

 

3 仁斎のいう「祖述」

中村は、[仁斎について最も大事なことは、彼のいう「学問」即ち「仁」の実践家であったという点であり]と指摘します。[実際に「道」を行う、実際をもって、実徳を行わしめる、これが学問である]、[学問とは万人の聖人への道であった]ということです。

▼では個別個別にどういうふうにすれば「仁」が実行できるのか、ともし仁斎に問えば、おそらく「『論語』を読め」といったでしょう。最上至極宇宙第一の書『論語』にはみんなありますから。無論、それで足らなければ『孟子』を読めというでしょう。『孟子』を読むと、みんな書いてありますから、それを自分がいちいちくり返す必要はない、という答えが返っただろうと想像します。

ところが[仁斎のいわゆる「仁」の説]など、[仁斎の学問は孔孟の道から逸脱したものであることはまちがいありません]。仁斎はそれに対して[「結構です。そうです。私は孔子の道を祖述したのである。血脈を辿ったのである」というだろうと思うのです]。

『童子問』の最後に出てくる「祖述」の概念は、[仁斎の思想については最も大事なことの一つ]だと中村は指摘します。[尭舜を祖述する場合には、尭舜の上に出なければ祖述しようがない。上から見ると天下のものはよく分かる、その上で祖述する]のです。

▼仁斎の考えは、仏教の各宗派のように、開祖が一番偉くて祖述者が次第に先細りでは困る。尭舜を祖述した孔子が、尭舜より大きな影響を後々に与えた如く、孔子の祖述者もさらなる発展がなくては、全人類の進歩は考えられないではないかということです。これが仁斎の向上の一路の考え方における論理ではないかと、私には思われます。

おそるべし仁斎、そして、おそるべし中村幸彦と思いました。[仁斎は孔孟を祖述した。孔孟を祖述するというのは、孔孟の上に出なければ祖述することはできない。但し、仁斎は孔孟の説を説いているのだ、というわけです]。学問の王道はこれだと思います。

 

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