■ヨーロッパ思想の基調音:プラトンとユダヤ思想、そして木田元『哲学散歩』

 

1 ヨーロッパ思想の二つの基調音

岩田靖男は『ヨーロッパ思想入門』で、ヨーロッパ思想を3部に分けて記述しています。[ヨーロッパ思想は、本質的に、ギリシアの思想とヘブライの信仰という二つの基調音をめぐって展開される変奏曲である]。二つの基調音の部分が第1部と第2部です。

▼第3部は、2000年におよぶヨーロッパ哲学の絢爛たるシンフォニーから取り出された、この基調音の変奏のささやかな数節である。
ギリシア哲学は、プラトンとアリストテレスにおいて、その創造力の頂点に達し、それ以後(中略)創造的な活力は見せない。ヨーロッパ哲学が新しい息吹をうけるのは、アリストテレスの没後300年を経て、キリスト教が勃興し、この信仰がギリシア哲学と遭遇してその合理化をせまられてから、さらに400年を経て、アウグスティヌスが生まれてからである。 『ヨーロッパ思想入門』:p.150

「ギリシアの思想」の記述が79頁、「ヘブライの信仰」の記述が67頁でなされています。続く第3章のアウグスティヌス(354~430年)以降、20世紀までの展開が95頁というのはいささか短くて、まさに「基調音の変奏のささやかな数節」という扱いです。

『ヨーロッパ思想入門』を再読するうち、ギリシア哲学の確立までの歴史の長かったことに気づきました。[ギリシャ語を話す民族が舞台に登場するのは紀元前2000年前後][アガメムノンの悲劇で知られるミュケーナイ城]などが築かれたのが前1600年頃。

ホメロスは紀元前8世紀ころの人であり、ギリシャ悲劇のアイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの生誕はそれぞれ、前525年、前496年、前480年頃でした。その後、プラトン(前427~347年)、アリストテレス(前384~322年)が登場します。

 

2 旧約聖書と新約聖書

ヘブライの信仰についても同様です。長い歴史がありました。[現代の聖書学では、『創世記』はバビロン捕囚期後の紀元前六~五世紀頃に編集されたと考えられている。つまり、旧約聖書の中でもっとも古い部分ではないということである]。

長い時間をかけた思想の成熟の過程が、感覚としてわかっていないようです。聖書に関して、あえて記すまでもないと省略されている前提事項でさえ、わかっていないことがしばしばあります。言い訳にすぎませんが、これは私に限らないことでもあるのです。

ドラッカーは「もう一人のキルケゴール」で以下のように記しました。[キルケゴールは、私の好きな『おそれとおののき』という小著において、「アブラハムが、息子イサクを捧げようとしたことと、普通の殺人とはどこが違うか」という問題を提起している]。

「もう一人のキルケゴール」はドラッカーの中でも大切な文章です。論じる人がときどきいます。ここは外せない部分ですが、「聖書の」という言い方ですませる人がいるのです。そういうとき、旧約ですか新約ですかと確認すると、たいてい答えられません。

たまたま知っていただけで、私も同程度です。新約聖書と旧約聖書の違いなど大前提のことでしょう。そこまではわかりますが、確認しない限り、知らないことばかりです。感覚として両者の違いが分かっていません。基調音をおろそかにしてきた感があります。

 

3 プラトンとユダヤ思想

『ヨーロッパ思想入門』を再読することになったのは、木田元の『哲学散歩』を読んだためでした。二つの基調音がどのように響きあうようになったのかについて、巻頭の「エジプトを旅するプラトン」で大胆な仮説を提示しています。目の開かれる思いがしました。

木田はプラトンの[イデア論の出どころ]を気にします。ギリシア哲学の自然とは、本来、[古代日本人の自然観にも似た、すべてのものを生きて「なる」ものと見る有機体論的な自然観]だったのです。プラトンのイデア論はそれとは明らかに異質です。

プラトンは自然を、創造のための[死せる材料・質料としか]みなしておらず、[超自然(メタ・フユシス)的な原理を設定し、それを拠点にしてすべてを考えていく超自然的(メタ・フィジカル)な思考様式を持ち込んだ]のです。これが展開していきます。

▼紀元一世紀ごろには、この街(アレクサンドリア)のユダヤ系豪族の出であるフィロンによって、ギリシア語訳されたその『創世記』とプラトンの『ティマイオス』の重ね読みがなされる。そして同じ企ては、三世紀にはやはりこの地で新プラトン主義を提唱したプロティノスによって引き継がれ、やがて五世紀初頭にアウグスティヌスによって大成される。 『哲学散歩』:p.14(単行本の頁)

先の『ヨーロッパ思想入門』からの引用と同様の通説的な見方です。[プラトニズムとキリスト教はみごとに結合する。キリスト教はプラトニズムによって理論的支柱を与えられ、プラトニズムはキリスト教の信仰に乗っかって普及していった]のです。

しかし[『ティマイオス』の世界創造論などを見ると、この世界は神によって創造されたと説くユダヤ系創世神話の影響がなによりもまず思い浮かんでくる]。プラトンがエジプトを旅したとの記録もあり、[ユダヤ思想と接触した可能性は十分にあった]のです。

木田の仮説はシンプルです。[両者の結婚はうまくいきすぎているところがある。どうも私には、初めからプラトンその人のもとでユダヤ思想との接触が行われていたとしか思われないのだ]。木田元、おそるべし…です。もう一度、基調音から学ぶしかありません。

 

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