■ビジネスと文章の近代化

1 組織運営に不可欠な文章という道具

ビジネスについて語るとき、戦略という用語が普通に使われています。私たちからすると、別にどうということはないのですが、かつてドラッカーが戦略という言葉を本の題名に入れようとしたら、戦争を思わせるとの理由で却下されたことがあったそうです。

しかし戦争に勝つための手法がビジネスで使えるのは、間違いのないことです。ナポレオンのような英雄が登場したのに対抗して、プロイセンで参謀本部が生まれました。その後、組織で戦う方法が確立します。軍隊の組織運営の方法はビジネスと同類のものです。

組織運営の際に、情報伝達が重要になります。このとき何がポイントになるのでしょうか。このことについて、司馬遼太郎の講演「日本の文章を作った人々」に注目すべき話が載っています。明治18年(1885年)、来日したドイツ参謀本部のメッケルの言葉です。

メッケルは日本側に確認したそうです。[軍隊のやり取りの文章は簡潔で的確でなければならない。日本語はそういう文章なのか]と。司馬は言います。[そのメッケルの言葉を受けて、軍隊における日本語がつくられていくのです]。

 

2 「文章の近代化」の条件

日本が国際化を進めて、ビジネスを世界的に展開する過程で、日本語で苦労した話をお聞きになっているかもしれません。通信速度の極端に遅かった時代、テレックスを使うときに、何度も簡潔で的確に表現するため苦労したと、商社の方がおっしゃっていました。

日本語に限らず、文章を近代化させないとビジネスでは使えません。ビジネスに限らず、学術的なもの、客観性の必要な分野では、文章に条件が課されます。現在のわれわれから見ると当たり前のことですが、絶対的な条件であり、基準というべきものです。

一つは、論理性、もう一つは、効率性です。この二つが備わっていることがビジネスで使うときの条件になります。情報伝達の手段として文章は欠かせませんから、文章に必要不可欠な基準が求められるのです。このことについて、加藤徹が学術面から語っています。

▼近代的な文章は、それだけを黙読して完全に理解できる。古代の発想は違った。文章は音読すべきものであり、また「記憶を助けるメモ」だった。文章だけ読んでも意味がわからず、文章の真意を代々伝えた書記ないし学者の解説があって初めて、その文章の意味がわかる。中国に限らず、古代はそれが普通だった。 加藤徹「本当は危ない『論語』」 p.149

文章だけで意味が理解できるものが論理性のある文章です。さらにメッケルの指摘した簡潔・的確に伝わる文章が効率性のある文章にあたります。文章だけで意味が理解できて、それが迅速に正確に伝わる文章が近代的な文章であるということです。

 

3 文章の「論理性」と「効率性」

論理性のある文章とは、もう少し具体的に言うと、どうなるでしょうか。主語・述語が明確である文章と言えます。述語あるいは述部の部分で言いたいことを詳細に語ったとしても、それが誰・何についてのことなのかがわからなくては、文の意味は伝わりません。

▼漢文の文法では、英語などと違い、必ずしも主語を明示しなくてもよい。特に前後の文脈から判断できる場合は、主語をいちいち書かないのが普通である。逆に言うと、主語を明示しなくても読者が前後の文脈からすんなりと主語がわかるよう、達意の漢文を書く必要がある。 加藤徹「本当は危ない『論語』」 pp..165~166

ここでの「漢文」を「日本語文」や「日本語の散文」に入れ替えれば、そのまま通用することです。論理的な文章とは、主語がわかるかどうかがポイントになります。このあたりについて梅棹忠夫は、主語不要論が無意味であることを前提に、語っています。

▼主語は文章をかくときたてるものであって、日本語が主語をあまり使わないという話とは全然別のことです。主語は、自分がこの文章をかくときに、これが主語であると立てなければいけないものであって、それがないから論理的にかけないというのは、自分の思考法が悪いんや。 『梅棹忠夫 語る』 p.46

一方、簡潔・的確に書くには、(1)構造がシンプルであること、(2)文章の構造が内容に適した形式であること…が必要です。言いたいことを伝える場合、文構造の決定が重要な問題になります。英文法の基礎が5文型になっているのも、そうした理由からでしょう。

日本語の散文の場合でも、基本構文という意識が必要になります。もはや日本語が論理的かどうかの論争も、効率的かどうかの論争も、過去の話になりました。論理的に書くためのルール、効率的に書くためのルールの整備が必要になっているということです。

 

4 追記:論理性と効率性

文章の論理性と効率性のことがよくわからないというお話がありました。とくに効率性というのがわかりにくかったようです。説明不足だったかもしれません。文章において、まず論理的であることが前提になります。その上で効率性が問題になります。

論理的に書かれている文章であるなら、[それだけを黙読して完全に理解できる]ということになります。「誰がどうしたのか」「何がどんななのか」が明確であることです。述べられていることが明確で、その主体も明確になっている文章であると言えます。

論理性の問題は、戦後ずいぶんと苦労してきたことでした。しかし教育と国際化の進展で、日本語が論理的でないという人は、もはや例外的な存在になったというべきでしょう。今後は、日本語で論理的に書く方法が問われるということになります。

効率性の場合、文章それ自体に限らない問題です。記述の手段や利用のされ方までが問題になります。たとえば日本語の散文は、漢字かな混じりの形態です。漢字を書くのに手間がかかります。これが効率的でないからと、ローマ字化や漢字廃止が主張されました。

しかし漢字を書くのが負担でなくなったら、漢字廃止を言う必要はありません。キーボード入力などのデジタル入力が普及した結果、漢字を書くのにそれほど不便を感じなくなりました。読む場合には逆に、漢字とかなが混じった文章は読みやすく効率的です。

また、文章自体に関する効率性も大切です。よく結論から記すようにと言われます。結論が必要な場合、最後まで読んで、やっと結論がわかる文章よりも、最初に結論がわかって、そのあとに理由を含めた解説がついた文章のほうが効率的です。

効率的という場合、複合的な意味を持っています。日本語ワープロが普及した結果、少なくとも入力に関する非効率性の主張は消えました。漢字かな混じりの文を読むのに非効率性はありません。あとは効率的に読める文章を、どう記述するかが問題なのです。

[谷崎潤一郎『文章読本』その3]

 

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