■安崎暁(あんざき・さとる) コマツ元社長のこと

 

1 安崎元社長が残した3冊の著書

安崎暁コマツ元社長が2018年5月26日、逝去されました。ささやかなおつき合いにすぎない者にも、残念な気持ちを抱かせる方でした。親しかった人が人間的魅力について、いずれお書きくださることでしょう。ここでは小さな断片のみを記してみます。

安崎元社長には『日本型ハイブリッド経営』という著書があります。これは3人の共著でした。他に私家本の『聚変』『夢を蒔く-私と小松、私と中国』があります。生前の「感謝の会」で配られた『夢を蒔く』について、出版したいというお話もあったようです。

『聚変』は中国語の本であり、お送りいただいた際の手紙に、日本語訳の本について、[日本語訳は中国人の手になるものでこなれていません]と注記されていました。日本語版の『夢を蒔く』についても、[中国語版の原稿]とあえてお書きになっています。

『聚変』は『日本型ハイブリッド経営』との重複もかなりあるものですが、『夢を蒔く』は安崎版の「私の履歴書」ともいうべきものでした。出版したくなるのも自然かもしれません。しかしこの本は[中国語版の原稿]という位置づけなのです。

 

2 自分の業績を自分で語らない方針

私家本に限らず、2010年出版の『日本型ハイブリッド経営』も本来なら、安崎暁の単独著作の形式に整えて出版することができたはずです。しかしやや無理な形で3人を対等の地位に置いて、安崎色を薄めています。ご本人が意識的に行ったことでしょう。

自分の成果を、日本であからさまに語らない方針をとっているということです。実際、私的メールの中でも、日本での新著を出す気持ちがない旨を強調しておいででした。「丸山さんがご自分の名前で私の死後、評伝風の出版をされることはOKです」とのこと。

私に何が書けるというのでしょう。安崎社長時代、何を行ったかをもう少し詳細に整理しておく必要があるのではないかということのみ、申し上げました。正当な評価がなされていないとの思いがありました。後任社長の手柄だけが注目を浴びた形です。

ご本人は諸々に関して、公私ともに批判は一切したことがないとだけおっしゃいていました。自分の業績について、自分で語る気はないということ、評価は自分のコントロールすべき事柄ではなくて、時間とともに明らかになるということだろうと思います。

こうした中で、めずらしく自分の社長時代について語ったのが2014年の講演でした。講演録をこの欄に掲載したところ、安崎暁グローバル企業発展研究会のHPにリンクを張ってもらえました。ここでのお話のニュアンスからも、伝わってくるものがあります。

 

3 世界で戦えるスピードと柔軟性

安崎社長の就任は1995年6月、急激な円高で1ドル79円をつけた頃です。1997年にアジア通貨危機が起こっています。2001年6月までの6年間の社長在任中は、経済の混乱した時代でした。こうした環境の中で、何を行ったのか。2014年の講演で語っています。

▼グローバル時代のスピードは違います。日本の会社は世界で優勝するスピードと柔軟性を、とても持っていません。大企業病の予防にと、会社の考え方を変えていこうと決心しました。売上を伸ばし、商品を開発して利益をあげることは、こう言っては何ですが、もう私はやってきた、今後は、人材育成と情報武装をしようとして、社長方針を示しました。情報武装をちゃんとやらないと、どうにもならないと思っていました。 (2014年7月10日、システムイニシアティブ研究会)

経営の舵を大きく切ったのです。売上げや利益を伸ばすことよりも、長期的な視点でモノを見て、基礎となる人材育成と情報武装に力を入れて、スピードと柔軟性のある組織にすることが大切だと判断しています。短期でモノを見ることを拒否しているのです。

『日本型ハイブリッド経営』でも[コマツの商品はもともと顧客の現場で10年、20年と使われるような耐久資本財です]と語っています。そのため[社長のときに掲げた旗印]が[“品質と信頼性”という概念です]。[少なくとも私が社長の間はこれで行く]と。

社長就任時の現実を見ると、まだ世界で戦えなかったようです。そのため「品質と信頼性」を追求し、[そこを卒業したら、もう少し創造性を発揮する、世界に冠たる商品を作っていくようにするという旗印のほうがよいかもしれない]ということになります。

そのつもりになれば、安崎社長時代の評価をするだけの日本語資料はすでにそろっているとも言えます。あえて日本で自分の業績を語る必要はないのです。現在の中国で経営に関心を持つ人たちなら、安崎暁の経験がもっと活かせるとお考えだったのかもしれません。

 

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