■すぐれた入門書の4つの条件:ひろさちや「道元 正法眼蔵」を参考に

 

1 入門書を書くときのお手本

ずいぶん前のことですが『正方眼蔵随聞記』の現代語訳を無理して読んだことがあります。理解できなかったためでしょう、どんな内容だったのか思い出せません。「100分de名著」の ひろさちや 著「道元 『正法眼蔵』」を見つけて、読む気になりました。

「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」は1000ページを超える難しそうな本です。簡単に手が出そうにありません。しかし、ひろのテキストはわかりやすく、入門書の書き方のお手本になる本だと思いました。100ページ弱の量ですから読むのに苦労しません。

[「正法」は、正しい教えという意味][釈迦が説いた教え、つまり「仏教」そのもの]であり、[それが経典となって「蔵」に納められている]。これを正しく解釈するためには[「智慧」が必要]であり[「智慧」を禅者たちは”眼”と表現しました]とのこと。

道元がこの本を書いたのは[末法の世になったとしても、仏教の真理を正しく読み取る眼が後世に伝わるよう、自らの知恵][を言語化して残そうとした]ためであり、[一般的な禅の書物としてではなく][哲学的思索の跡]をたどりたいと、ひろは語っています。

 

2 一般常識と異なる考えを示した道元

[釈迦の正しい教えが廃れてしまう]と考える末法思想が[道元の生きた鎌倉時代に広まって]、[鎌倉時代の日本において、人々は「いまが末法の世だ」という意識を持っていた]。しかし道元は一般の認識と違っていました。「はじめに」でこの点が示されます。

▼釈迦の教えを正しく伝える者、つまり正法眼蔵を持っている者さえいれば、釈迦の教えが廃れることなどない。それはいつの世にも残っていくものだ。それが道元の信念でした。 [p.6]

つづく第1回で、道元が修行開始後すぐに抱いた疑問を取り上げます。人間はもともと仏性(仏の性質)を持っているのに、なぜ修行が必要なのか…という疑問です。この疑問は[プロの宗教者からはまず出てこない]と、ひろは指摘しています。

プロスポーツの選手なら、なぜ練習が必要なのかなどとは思わないはずです。生い立ちを見ると、道元は政治家の家の出なのに、宗教の世界に身を転じていることがわかります。この疑問に答えた宋の天童山景徳寺の如浄(にょじょう)禅師を、道元は師とします。

 

3 これさえ理解できればというポイント

道元が得た答えは「心身脱落(しんじんだつらく)」です。[これさえ理解できれば、道元の思想が理解できる]ものですが、[道元は、如浄の発した”心身脱落”という言葉を、師の意図とは違う意味で受け取った可能性が大きい]とのこと。どういうことでしょうか。

本来の「邪念をなくす」という意味を、道元は[自我は全部捨ててしまえ!]という意味に受け取りました。[「悟り」は求めて得られるものではなく、「悟り」を求めている自己のほうを消滅させる]ということです。難しい概念を、ひろは上手に説明します。

▼心身脱落は自己の消滅ではありません。角砂糖が湯の中に溶け込んだとき、角砂糖は消滅したわけではないのです。ただ角砂糖という状態でなくなっただけで、全量は変わっていません。角砂糖は少しもなくなってはいない。そこに溶けているのです。 [p.15]

[自分を悟りの世界に放り込み、そこに溶け込めばよい]ということです。この考えが以下で展開されます。[道元が最初に執筆した「現成公案」]から、これと内容が[ぴたりと一致]する短くて平易な「生死(しょうじ)」の巻へと進みます。うまい流れです。

 

4 よい入門書:4つの条件

道元の「仏性」についての解釈が、このテキストの山になっています。大乗経典『涅槃経』の「一切衆生、悉有仏性(いつさいしゆじよう、しつうぶつしよう)」は[生きとし生けるものすべてに仏となる可能性を認めよう]という考えです。道元の解釈は違います。

[一切は衆生なり・悉有が仏性なり]と読んだのです。「一切」は形容詞、「悉有」は「ことごとくある」なのに、[それらを名詞と捉えて主語にしてしまうのですから、滅茶苦茶です]。しかし道元は、こう読まなくては意味がおかしいと考えました。

漢文の読み方としては違反ですが、山や川や草木もすべて命あるものである。すべての存在は仏の世界の中にいる…と解釈しました。サンスクリット語を知らないはずの道元ですが、この解釈は[原語の意味を非常によく捉えています。彼は天才だった]のです。

こうして初めの疑問に再び戻ることになります。[「一切衆生、悉有仏性」であるのになぜわれわれは修行をするのか]。風がどこにでも行きわたるものなのに、扇を使うのはなぜかの例に答えたうえで、ひろはさらにわかりやすく水泳にたとえて説明しています。

▼人間の比重は軽いですから、普通にしていれば水に浮くはずです。けれども、泳ぎを知らない人は、溺れて水に沈んでしまいます。ということは、泳ぐ(修行する)ことによってわれわれは水に浮く(仏になる)のです。 [p.78]

[仏性を仏性として活性化させるためには、やはり修行が必要]だということになります。ここに限らず、母猿にしがみつく小猿が自力で、母猫にくわえられる子猫が他力…と説明するなど、すぐれた入門書の条件を備えています。以下がその条件と言えそうです。

(1) 中核的なポイントが適切な順番で記述されている。
(2) 各ポイントがわかりやすく解説されている。
(3) 重要事項が十分盛り込まれていながら全体がコンパクトである。
(4) 入門書だけで完結した世界を作っていて、再読したい気にさせる。

 

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