■若者の文章力について:どんな変化なのか何が問題なのか

1 パソコンからスマートフォンへ

入社してまもない人たちに対して、社内教育をどうしたらよいのか、苦労している会社の担当者がかなりいました。そうしたご相談を受けるうち、若者の気質が変わっているのかもしれないと思い出しました。そんなとき大学での講義の話があり、さらに専門学校で講義をすることになりました。

若者の変化は、割合すぐに見えてきました。パソコンを持っていません。パソコンが使えないわけではないでしょうが、好きで使っている人は少数のようです。したがって、それほど得意ではありません。デジタル世代というのはその通りですが、その中心にあるのはパソコンではなく、スマートフォンでした。こんなことはご存知でしょう。

パソコンからスマートフォン中心になると、それに付随して変化がやってきます。多くの若者が紙の資料をあまり持たなくなりました。プリントアウトをしないのです。期間が過ぎたら処分してしまいますし、そもそも紙に依存しないようになってきています。試験前に大量のコピーが出回るということが見られなくなりました。

よくできたノートを借りてきて、写真に撮っています。それを手書きで写す人が多いのです。自分で一度書くのですから、単にコピーにマーカーで線を引くよりも合理的です。書くと覚えるということを認識する若者も出てきています。しかし、紙自体が減っていますから、それに比例して日常生活で書く量が減っていることはたしかなようです。

2 「緊張感を持って書くこと」からの逃避

かつての偉人たちが大量のノートを作ったりメモを書いたりしていたお話は聞いたことがあるはずです。あの人たちは書くことによって考えてきたのではないかという気がします。手で書かないとダメだと、自分でも反省しています。

パソコンに向かうと、どうしてもパソコンで書く方が気楽に進みます。それが行き過ぎていると自分でも感じられることがあって、手書きとPC入力とのバランスを考えることになります。パソコンの場合、長い文章を入力するのに、とにかく便利です。これは魔法の機械という感じがします。

スマートフォンを使っている若者たちのメールがどうなっているかは想像に難くありません。実際にやり取りしてみると、ときどき恐ろしく文章のうまい学生が出てきていますが、全体として文章は短くなり、会話の延長のような文章が多くなっています。

いわゆるまともなメールをあまり書きたがりません。緊張感を持って文を書くということが減ってきているようです。相手との距離感をどう取ったらよいのかということは、誰にとっても難しい問題ですが、そうしたことから逃げ気味であることが気になります。その上の世代でも、それを真似する人が出てきています。

3 長い文を書く練習の欠如

いま就職シーズンですから、学生たちは企業への自己アピールや志望動機を書く機会が増えています。内容は悪くありませんし、素直な感じのものが多くて、文章力が低下しているようにも見えません。しかし書く時間が恐ろしくかかっています。400字程度の文を書くのに何時間もかけています。

長い文章を書くのに慣れていないということです。長い文章が書けたら、それを練習で短くしていくことは出来ます。何でもかんでも内容を盛り込まないように…といった注意が、かつてはなされていたはずです。しかし短い文では内容が少なすぎます。それを膨らませるには、書く内容がなくてはなりません。

内容があるから長い文が書けるということもありますが、同時に長い文を書こうとするから内容が出てくるということがあります。長い文を書く練習をしない限り、豊富な内容など出てこないのが普通です。この練習が欠如しています。短いレポートばかり書いてきた弊害があるようです。

4 若者が環境変化を映し出す

まだ確定的に言い切れませんが、3つの点が問題だと思われます。
(1) 手で書く量が減っていること。
(2) 緊張感を持って書く機会から逃げがちだということ。
(3) 一定以上長い文を書く練習が欠如していること。

以上の3つに対処する方法は簡単です。やればよいということにつきます。手で書く量が減っているのですから、手書きのメモでも何でも、手で書くノートを作ればよいだけです。その他のことも、同じです。

よく知らない人や、目上の人に向けて文章を書くのはめんどうなことです。それでもあえて文章を書こうとしなくては書けるようになりません。同じように、長い文が書けないのは書こうとしないからです。長い文を書こうとしない限り、内容豊富な文は書けません。練習するしかありません。

もはやお分かりの通り、若者に顕著に見えることは、その上の世代でも問題になっていることです。環境が変わると、何らかの歪が生じます。若者はそれを素直に反映させます。そこに見えているものは、多くの人に表れていることでもあります。若者が問題点を映し出しているということでしょう。

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