■組織社会とコミュニティ:『産業人の未来』から「組織社会の到来」へ

 

1 『産業人の未来』でのコミュニティ概念

研究会風な場で、ドラッカーがコミュニティを大切にしているとのお話を聞いたことがあります。あれあれと思ったので、コミュニティとはどういう概念なのかと質問しました。答えは「共同体です」とのこと。共同体というのはコミュニティの日本語訳でしょう。共同体の概念を確認すると、よくわからないということでした。

ドラッカーと関連づけてコミュニティの話をする場合、その概念を明確にする必要があります。1942年に出た『産業人の未来』の1995年新版の序文でドラッカーは書いています。

テニエスは、存在すなわち人間の位置に焦点を合わせたコミュニティと、行動すなわち人間の役割に焦点を合わせた社会を並置した。これに対して私は、本書において、産業社会では、それぞれの組織は、一人一人の人間に役割を与える社会的機関であるだけでなく、位置を与えるコミュニティでもなければならないとした。

『産業人の未来』の本文では[企業をコミュニティとしなければならない。産業組織をして、農業社会における村落や、商業社会における市場の役割を産業社会において果たさせなければならない](ドラッカー選書:1998年、pp..259-260)と書いています。

『産業人の未来』では「組織」よりも「社会」を扱っている点に注意が必要でしょう。[本書の執筆当時、やがて産業社会が、企業社会というよりはむしろ組織社会になるであろうことは、私も含めて誰にもわからなかった]と記しています。組織とコミュニティの概念が明確になるのは、かなり後のことでした。

 

2 組織とコミュニティの葛藤

ドラッカーが組織とコミュニティを関連づけて正面から語ったのは、『未来への決断』所収の「組織社会の到来」(1992年)においてでした。[安定を求めるコミュニティのニーズと、変化を求める組織のニーズの間の緊張](p.90)について語っています。

[コミュニティや社会は、言語、文化、歴史、地域、構成員の絆によって規定される存在である]が、組織は[目的に従って設計され、目的別に専門化した存在である](p.99)。絆となる共有性に基づいて結合するのがコミュニティであり、目的に基づいて結合するのが組織だと言えそうです。

様々な絆に基づいたコミュニティが存在しています。コミュニティには、よりどころとなる共有性がありますから、安らぎや安心感を与えてくれます。一方、組織は目的を達成するための集団ですから、緊張感が強いられます。[社会やコミュニティは多次元である。それらはいわば環境である。これに対して、組織は道具である](p.100)。

コミュニティは[基本的には安定のためのものである][変化を阻止し、あるいは少なくとも減速しようとする]存在です。組織は[常にイノベーションをもたらすように構造が作られる。そしてイノベーションとは」「創造的破壊である](p.91)。

『産業人の未来』で企業をコミュニティとすべきだと考えていたドラッカーも、その半世紀後には[組織は、つねにコミュニティを動揺させ、解体し、不安定化させなければならない]と書くことになりました。

 

3 知識労働者の専門化とコミュニティ

組織が存立し継続するのは、目的を達成するからです。目的達成のためには成果が必要です。成果を得るために[専門分化することによって目的遂行の能力を高める]。そして[組織は一つの目的に集中して初めて大きな成果を上げる](p.100)ということです。

ドラッカーは言います。[オーケストラは患者の治療をしようとはしない。音楽を演奏する。病院は患者を治療する。ベートーベンを演奏しようとはしない](p.99)。なすべき領域に関して、専門家でなくては組織の目的を達成できません。

[組織への参加は常に自由でなければならない]、また[組織からの離脱が不可能であってはならない](p.100)。[組織がますます知識労働者の組織になっていくにつれ][能力ある知識労働者を求めて互いに激しく競争するようになる]というのがドラッカーの見立てでした。

[組織は、知識労働者に対して、その知識を生かすための極上の機会を提供することによってのみ、彼らを獲得できることになる](p.104)。こうした[知識労働者と彼らの組織の関係は、まったく新しい現象である](p.101)と言えるでしょう。

当然、成果をあげられなければ、組織から離脱せざるを得なくなります。わずかな人を除き、こうした不安定な状況だけでは、精神的に参ってしまうでしょう。そのとき、共有性に基づいた絆のあるコミュニティの存在が救いになります。組織から独立したところに存在するからこそ、コミュニティに価値があると言えそうです。

論語「父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。直きこと其の中に在り」というのはコミュニティでしか成立しません。組織では許されません。組織での誠実さは、失敗や不正を隠さないことです。コミュニティが組織を揺るがせることも起こりえます。両者は独立してこそ、それぞれの特徴が生かせるというべきでしょう。

 

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