■ドラッカー『乱気流時代の経営』を読む(その2)

1 社会科学の前提となっていた「没価値」

ドラッカーは『乱気流時代の経営』で、「経済価値の源泉は生産性である」という公理を新しい経済学の基礎におくように提言しました。その前提として「没価値」の経済分析を否定しています。価値評価というのは、経済学に限らず大きな問題でした。(⇒その1はこちら。

「没価値」の分析方法を決定づけたのは、1904年に出版されたヴェーバーの『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』だったようです。清水幾太郎が『倫理学ノート』に書いています。「ヴェーバー以後の社会科学者にとって、価値や価値判断が危険なタブーになり、しばしば、それを避けることだけが関心事になっている」。

価値を入れると恣意的になるという意識があったようです。1970年にオックスフォード大学で講義を行ったR.ハロッドも『社会科学とは何か』で語っています。

価値判断について問題とせねばならないのは、それが真か偽かという性質をもっているか否か、という単純な点なのです。この性質をもっていなければ、厳密に言って、それを判断と呼ぶのは正しくありません。(中略)
経済学への価値判断の進入を撃退することは成功しているようですが
(清水幾太郎訳,岩波新書,1975年,pp.174-176)

こうした立場は、ドラッカーが考える「あるべき経済学の姿」とは違います。ドラッカーは従来の経済学の見方を改めるべきだと提言しているのです。

 

2 憲法学では「没価値」を否定

価値判断の排除が失敗に終わるというのは、憲法学と比較して考えてみると分かりやすいと思います。第二次大戦前の「法治主義」が否定され「法の支配」の考えが支持されるようになりました。いまや「法治主義」といえば「法の支配」と同じ概念であるように再定義されています。

戦前の「法治主義」は法律の内容を問わずに、客観的に判断できる公正な手続きに焦点を当てました。法律の内容を問わず「価値」をいれないことによって、客観性が確保され、恣意的な立法が排除されると考えられていました。この考えは「没価値」だったと言えるでしょう。

しかし、ヒトラーを生んだのが戦前の「法治主義」でした。外形的な手続きのチェックだけでは不十分だということです。法内容のチェックが必要でした。ドラッカーも『新しい社会と新しい経営』(1949年:ドラッカー全集2,1972年)で書いています。

政治に煩わされたくないためにヨーロッパのヒューマニストが画いた“法治国”のように、独裁政治と個人の自由と保障を心地よく結びつけるのはもはやできなくなっている。 (p.392)

「法の支配」の場合、法内容が民主主義・自由主義にかなったものであることを要求します。これが第二次大戦後の憲法理論の基礎になりました。同様に経済学でも「没価値」ではなく、何らかの価値が置かれるべきだというのがドラッカーの考えです。これはシュンペーターあるいはミュルダールなどの系譜にある考えだといえます。

 

3 経済学のパラダイムシフトを提言

スウェーデンの経済学者であるミュルダールは第二次大戦後、社会科学に価値評価を導入すべしとの考えを主張するようになりました。『経済学説における政治的要素』1953年英語版に付した序文で、価値評価を排除することができないことを明確に宣言しています。

すべての科学的仕事には、不可避的に先見的な要素がある。答を与えることができるためにはその前に質問がなされねばならない。質問は、世界におけるわれわれの関心の全面的な表明であり、その底には価値評価がある。(以上は、ミュルダール『社会科学と価値判断』における丸尾直美訳:竹内書店,1971年)

シュンペーターの場合、『経済分析の歴史』の冒頭で宣言しています。

分析的努力に当然先行するものとして、分析的努力に原材料を提供する分析以前の認知活動がなければならない。本書においてはこの分析以前の認知活動をヴィジョン(Vision)と名づける。(東畑精一訳,岩波書店,1955年,pp.79-82)。

経済学においても分析の前に、何らかの価値あるいは「ヴィジョン」があってしかるべきだという考えです。ドラッカーはその価値の内容を「生産性の向上」におきました。あるいは「高付加価値化」といってもよいと思います。

経済成長の数字を問うだけでなく、その経済政策によって「生産性の向上」「高付加価値化」を達成する経済構造になったのかを問うべきだということです。[生産性を向上させるための意識的なマネジメント](p.14)を生む経済学であるのかということでもあります。

『乱気流時代の経営』でドラッカーは言います。

(ケインズは)正しい需要政策さえ行われるならば、生産性の問題は企業人の手によって解決されるはずであると答えていた。(p.16)
生産性の問題は自然に解決されるとしたのは、ケインズだけではなかった。経営管理者たちもまた、そのように考えた。(p.17)

ドラッカーは、経済学のパラダイムシフトを提言したということです。法内容における民主主義、自由主義にあたるものを、経済学では「生産性の向上・高付加価値化」であるとドラッカーは主張しました。まさに「今日においてこそ、さらに適切であるといえる」問題です。

この問題は「事業の存続と成功にかかわるファンダメンタルズ」の3つ目の「事業継続のコスト」を含めて考えると、さらに明らかになってきます。   (この項続きます。 ⇒ 「その3」

 

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