■散文的であること:山口仲美『清少納言 枕草子』から

1 散文の前提:テーマを明確にする

山口仲美は『清少納言 枕草子(100分de名著)』に[清少納言は、歌の人ではなく、むしろ散文の才能に恵まれた人だった][歌人の家系であるにもかかわらず、圧倒的に「散文的な」人間でした]と記しています。散文的というのはどういうものなのでしょうか。

山口は言います。[エッセイや小説などの「散文」は、物事を客観化してみる資質が必要です]。そういう人の特徴として、[「テーマを明確にする」。これは、歌には見られない、散文的な人間のなしうる特徴です]と言います。散文の前提といえそうです。

たとえば『枕草子』23段の「すさまじきもの(興ざめなもの)」で、[まずテーマを述べて、それから、昼間吠える犬][など具体例を挙げていきます]。こうした形式で記述しているため[構成が非常にしっかりしているのです]。現代文でも同じことでしょう。

 

2 ものごとを客観的に見る

山口は「枕草子」の散文的な点に、客観的に眺め、見るという特質を加えます。たとえば[美しく咲き誇った桜の下にいて、その景色に埋没してその感動を読むのが歌です]が、[清少納言は、景色の外側に立ってそれを眺め、その美しさを描いている]のです。

あるいは昇進し損ねた父・清原元輔(キヨハラ・モトスケ)を[眺めているのは、みじめなはずです。しかし彼女は、「それがとてもつらかった」と書くのではなく、その時の様子をまことにリアルに描写しているのです]。[感情をそのまま表出する]ことがありません。

清少納言は[ものごとを客観的に見る散文型の人間]でした。ことに[鋭い観察力と絵画的描写力に支えられ]た自然描写は[非常に完成度の高いものでした]。[自然そのものをテーマに散文を書くこと]を[日本の文学史上はじめて試みた]と山口は評価します。

 

3 エッセイストに必要な5つの資質

紫式部は清少納言をライバル視していたようですが、自分の文章に[『枕草子』の印象的な風景描写を巧みに取り入れている。それほど『枕草子』の風景描写は優れており、紫式部も認めざるを得なかった]のです。小説家とエッセイストの違いなのかもしれません。

エッセイストになるために必要な資質を山口は5つ上げています。(1)散文を書く力、(2)テーマ設定のうまさ、(3)人と違ったモノの見方ができること、(4)観察力・批判力に優れていること、(5)興味関心の幅が広いこと…です。全項目で清少納言は合格しています。

これらはビジネス人にも必要な資質だといえるでしょう。清少納言は知的でした。現実をそのまま描いてはいません。お仕えしていた中宮定子が、父の藤原道隆を995年に亡くし、その後の権力争いで兄も弟も都から追放されてしまい、一人だけで都に残ります。

清少納言は「世の中に事出で来、さわがしうなりて」(世の中に事件があり、ちょっと騒がしくなって)とだけ記します。[すさまじい権力闘争とその結果]をカムフラージュして[明るく華やかなことだけを書こうとする虚構があ]ります。山口の解説は秀逸です。

 

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