■入門書のお手本:小西甚一『日本文学史』

 

1 幻の名著だった『日本文学史』

小西甚一の『日本文学史』は名著といわれます。学術文庫版にご本人も[小著はずっと以前から絶版になっており、世間には「幻の名著」という称号だけが虚存した]と書いています。いまや復刊され、簡単に入手できます。入門書のお手本というべき本です。

文学史は「奈良時代・平安時代・鎌倉時代…」のように区分されます。これは[何のためになされているのか]と小西は問いかけて、[おそらく「便宜のため」ということに落ち着く]だろうと挑発します。小西は雅と俗の「表現理念による区分」を考えました。

完成を求め[磨き上げられた高さをめざす]「雅」、無限を求め[どうなってゆくかわからない動きを含む]「俗」を表現理念とし、中心理念に[古代は俗を、中世は雅を、近代は別種の俗]を置き、古代5~8世紀、中世9世紀~19世紀前半、以後が近代と区分します。

 

2 散文の発達と仮名文

小西の時代区分に従えば、中世が長くなります。『日本文学史』は中世を3つに分けています。中世第一期に散文が発達したのは[仮名の発達]のおかげです。[女性におうところが多いといわれる]仮名文も、[女性の創始]というわけではないと指摘します。

仮名文の[享受者層が主に女性]だったとしても、『土佐日記』『伊勢物語』などの平安前期の作品は下級貴族の男性の作がほとんどです。それが同じ階級の女性たちに広がったとみるべきだと小西は言います。こうした散文は、日記と物語の両系統からなります。

中世の人たちが言う「日記」は[「作中時間を追って書かれた実録風の文章」を意味する]ようです。『枕草子』も作者は日記を書いているつもりだったはずだと、小西は後年『日本文藝史』に書いています。では、物語はどういうものだったのでしょうか。

 

3 小説と物語、連歌の美

小西は小説と物語を対比します。[小説が人生の「切断面」を描くものであるのに対し、物語は人生の「全体」を述べるものだ]。小説には[作者の描こうとする中心があり、それを適切に描き出すため、いろいろな周辺的事実を配置してゆく]ことになります。

一方の[物語は、むしろ、周辺的な事実をこまごまと書いてゆくことが本体]です。そのため[主題がどこに在るのかわからぬような散漫さ]が物語にはあります。それが[かえって本来の性格]ですから、[小説を読むときの批判基準は適用できない]のです。

解説を書いたドナルド・キーンも、この本との出会いを大切にしています。そのためでしょう、すばらしい文章です。中世第二期の連歌について[連歌の美は、花や鳥の美しさでなく、花らしさや鳥らしさの美しさなのである]との言葉を引いた上で書いています。

[小西先生は実際連歌を作ったことがあり、この貴重な体験を生かして連歌論を展開された。能や狂言も稽古なさったことがあり、舞台を踏んだだけではなく、新作も書かれたくらいである]。巻末の年表索引も素晴らしいアイデアです。お手本というべきでしょう。

 

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