■文法の条件:日本語に文法がないという意味

 

1 日本語に文法がないという意味

司馬遼太郎が日本語には文法がないと言っていました。ドイツ語や英語なら文法はあるのです。書くための方法がありますから、文法を学べば文章が書けるようになるのです。実際、産業化が進んで高度な文章を書く人が必要になったとき、英文法が学ばれました。

英文法は、階級を越えて地位を上げていくための強力な武器になったようです。ところがこういう意味の文法は日本語にはないのだと司馬は言ったのでした。日本語の場合、文法を学んでもよい文章が書けない、と谷崎潤一郎は『文章読本』で語っています。

ここで文章が書けるようになるという場合、ひとまず意味のある文が書けるというレベルの話ではありません。日常生活に困らない会話ができ、その言語で考えているにもかかわらず、フォーマルな文章が書けないということです。何がどう書けないのでしょうか。

 

2 シンプルな文を書くためのルール

私たちが文章を書くとき、正確に伝わる文章で書くことが当然のこととされます。そのためには、積極的に文章をよくする以前に、わかりにくい文章を書かないようにすること、排除することが必要です。文章が引っかかることなく、流れなくてはなりません。

流れがスムーズであるということが文章の価値であると言えます。とくにビジネス文では必須の条件だと言えるでしょう。こうした文章の特徴を、簡潔・的確という言い方で表すことがあります。別な言い方をすると、流れのよい文章とはシンプルなのだと言えます。

奥山清行は『伝統の逆襲』でシンプルの概念を定義します。<たくさんの要素がありながらも、それらを統合し、リファインして、洗練されたものになってくると、結果としてシンプルに見える、というもの>。こういう文を書くためのルールが必要なのです。

 

3 書くために役立たない学校文法

学校文法と呼ばれる現行文法の基礎を作ったのは橋本進吉だそうです。その弟子の大野晋は、橋本が「文節」という概念を見出したことを評価しています。「ね」をつけると日本語は区切れます。分ち書きのない日本語で、文の単位を見出したのは立派でした。

しかし大野は『日本・日本語・日本人』で言います。<橋本先生の文法学を習っても、日本語が上手になることに直接には役に立たないんです>。文節の概念がわかっても、シンプルな文を書く方法に結びつかないのです。書くための文法になっていません。

奥山の定義が妥当するなら、たくさんの要素を統合しても、複雑に見えない文が成立するはずです。そのとき文の構成要素である語句をどう選び、どう並べるのかが問題になります。ある種の法則にそって語句を選び、並べると、わかりやすい文になるはずです。

 

4 文法の条件:選び方と並べ方のルール

文をわかりやすくする法則が、書くための法則、ルールだということになりそうです。英文法の場合、品詞と文型が重要な働きをします。主語は名詞、述語は動詞、動詞のあとの形は文型で決まります。まだ日本語の文法に、こうしたルールはありません。

日本語の文法を作るなら、英語のように、品詞を基礎単位にするのが妥当なのか、別のものを基礎におくべきかが問題になります。また日本語に英語のような基本文型が成り立つものか、それは何を基礎としたものなのか、具体的な文型を示す必要があります。

私たちは、機械のように一つ一つの語句の品詞を認識しながら文を書いているわけでありません。実際に書くときに使える方法、使えるルールでないと意味がありません。日本語にこの意味の文法がないということは、いささかおそろしいことだと感じます。

私たちは、文の要素となる語句をどのように選び、それをどう検証するのでしょうか。同時に選択した語句をどのように並べ、その正しさをどう検証していくのでしょうか。書くための文法になるためには、選び方、並べ方のルールが必要だということになります。

*参照:「日本語の読み書きに文法は役立つか」

 

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