■マネジメントと哲学:「知識」という用語を例に

 

1 哲学に知的な刺激を求めて

ビジネス人が哲学書を読むのは、ちょっと負担かもしれません。それでも哲学をまったく無視してしまうのはもったいないことです。よくできた哲学の解説書を読むことは、しばしばビジネス書を読む以上に、知的な刺激が得られるのではないかと思います。

哲学者はよく考えていますから、その人達の思考のあとをたどることが考える訓練になります。たとえばマネジメントを確立させたドラッカーを読むと、プラグマティズムの影響を感じます。ビジネスを考えるときにも、この哲学は大きな補助線になります。

私たちは、知識労働というときの「知識」の意味を、あまり意識しないで使っています。パースが「信念」という言葉を使っている理由を知ると、知識労働の「知識」という用語を、どういう意味で使っているのか、もう一度考えてみる気になるかもしれません。

 

2 「知識」の意味を再定義

パースの言う「信念」は、デカルトが言うような「確実な知識」と対比されます。<英語の「知識(knowldge)」には、最初から「真なる」もしくは「誤りえない」という意味が付着している>からこそ、この語を使わないのだと野家啓一は言います(『現代思想7』)。

<人間はつねに探求の≪途上≫にいる存在でしかない。それゆえ、われわれが獲得した「信念」は暫定的真理にとどまるほかはない><信念は絶えざる改訂を免れることはできない>という<「可謬主義」の主張こそ、パースのプラグマティズムの本領>とのこと。

私たちは知識労働というとき、その知識が絶対的でなくて、つねに古くなることを前提に考えています。「可謬主義」を受け入れています。本来、知識と対峙していた「信念」という語がしっくり来ないために、「知識」の意味を再定義したということになります。

 

3 考える第一の手段は記述すること

パースは「認識もまた、他のあらゆる変化と同様に、瞬間的にではなくて、過程的に生じる」と主張します。<われわれの認識が絶えず時間の波に洗われており、歴史の変転の中に 巻き込まれていることを意味>すると野家は言います。まさに「知識」もそうです。

<パースは「われわれは記号を使わずに考えることができるか」>と問い、<直観による直接的知識を持つことはできない>と指摘します。文字という記号を使った記述が、考える第一の手段なのでしょう。「知識」という用語の再定義も、その一環といえます。

船津衛は『哲学の歴史 8』のプラグマティズムの項で書いています。<哲学の主要な課題は、観念や語彙が現在の状況に十分対応できなくなっているならば、一定の状況において最も適切な観念や語彙を見出したり、それを再定義したりすることである>。

これはパースを否定的に考えるローティのプラグマティズムの考えです。<言語を用いなければ、世界についても、目標についても考えることができない>とローティは考えているとのこと。両者の違いを超えて共通性を感じます。考える刺激・ヒントになります。

 

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