■デカルトの思考法:谷沢永一が書簡集から見出したもの

1 デカルトの思考法を探る

林達夫は「デカルトのポリティーク」(『歴史の暮方』所収)で、デカルトの戦略家としての面を記しています。迫害されず静穏な生活を確保しながら、当時危険思想とされた地動説を前提とした宇宙論を書くために、戦略家にならざるを得なかったという指摘です。

こうしたデカルトの生き方を、谷沢永一は『デカルト書簡集』から探っています。物を考え、物を書いて発表しようと思う人間にとって、<どのような身の振り方をするか、その根本原理を考えた場合、私はデカルト以上に教わった人はいなかった>ということです。

デカルトの哲学そのものではなく、根本にある思考法を探って、そこから徹底して学ぼうとしたのが谷沢でした。『古典の愉しみ』に所収された「『デカルト書簡集』 死を恐れず生命を愛する意志」が雑誌掲載されてから数年間、この文章を繰り返し読みました。

 

2 判断力のいちばんの基本

デカルトの書簡から谷沢は<自分自身の判断力をつくるために、デカルトはどういうことを考えているか>を問います。<言葉の内容を、ひとつひとつ洗い出して、はっきりしていくこと、これが、いちばんの基本>であると、1629年の書簡から答えを見出します。

谷沢は言います。<言葉の持っている本当の意味を見定め、両足を地に着けてものをいっているか、あるいは、足が宙に浮いているか、それさえ見定めていけば、空虚な内容を批判するのは、非常に簡単だ>。言葉で書かれたものは、言葉から探るのが王道です。

デカルトの<明晰、判明というのは、言葉の一語一語、その不分明なものを、可能な限り削っていって、最後の本体を探り出すことなのだ>と、谷沢は見定めます。これを意識すること過剰になって、<しばらくの間、何も書けなくなってしまった>ということです。

 

3 デカルトの文体を真似る

<「落ち着いて一つの問題を十二分に説明することをしないのが大きな欠点ではないか」(メンセンヌ宛・1638年10月11日)というデカルトの言葉が肝心である>と谷沢は考えます。それを学ぶために、<『方法序説』の文体を真似る>ことになりました。

<デカルトがこれなら使えると思って使用している言語、それに自分を限定してみる方法はないか>と用語に注意を向けています。デカルトも言います。<論文の中で、学者達しか知らぬやうな言葉は殆ど用ゐませんでした>。多くの人の理解を願ったためです。

谷沢は、いかにエッセンスに精錬するかを考えていました。2006年刊『執筆論』に追記しています。<関係代名詞が透けて見えるような、複文の構造に流れ易い従来の癖を抑えながら、畳の目を数えて進む如き、単線仕立ての鈍行でいってみよう>としたとのこと。

 

4 デカルトの論文の書き方

<デカルトからは、論文の書き方というものを、改めて学んだ>と谷沢は言います。今回、谷沢の文章を見つけ出して、驚いたのはこの方法でした。自説中心の記述がよいと主張する私の考えの原点は、谷沢の引いたデカルト書簡の言葉にあったようです。

「私の哲学講釈の全部を箇条書の形にして順々に書くにありますが、かういふ書き方でやつて、余計な議論は一切附けずに、ただ私の結論を全部とそれを抽き出す真の理由とを述べるだけにするつもりですから、極く僅かな言葉でやれると信じます」(メンセンヌ宛・1640年11月11日)

デカルトの書簡を引いた谷沢は言います。<論述される骨格は箇条書きで整理することの出来るものであるべきだ、ということを、私は、この一節で、痛切に感じた。骨格を箇条書きに出来ない論文というのは、言葉の弄びに過ぎない、と、私には思われる>。

 

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