■主題および主語という概念:『日本語の謎を探る』を参考に 1/3

1 主題という術語

日本語がまだ十分に習得できていない人と関わって、習得の過程を観察してきた人なら、従来からいわれている日本語の文法に疑問を感じるはずです。外国人に日本語を教える経験をしてきた森本順子は『日本語の謎を探る』で、かっこうの問題提起をしています。

森本は、主題を取り上げます。<主題という概念は広く世界の言語の研究でも意味のある術語>だそうですが、概念の説明はそんなに簡単ではありません。主題のある文は、主題が先に提示され、その後に主題についての解説が続く構造になっています。

主題には助詞「ハ」が接続し、この語句が主題ですよ…というマークになります。「ハ」がついた語句の後に、「その語句についていうと、こんなことですよ」という関連した内容が続く構造です。森本は省略文を絡めて、主題を説明しています。

 

2 未知・既知と主題

(1) これは駅のコインロッカーのカギですよ。
(2) これが駅のコインロッカーのカギですよ。

2つの例文の違いは、省略文を作ってみると、明らかになります。省略文を作るとき、<古いわかっている情報を脱落させて、新しい情報を残すというやり方を取>りますから、(1)の省略文は「駅のコインロッカーのカギです」、(2)は「これです」になります。

(1)は、何のカギかわからないが、カギがあるときに「駅のコインロッカーのカギ」だ、と指摘するような場面で使います。(2)は、いくつかあるカギのうち、どれが駅のコインロッカーのものかわからないときに、「これですよ」というような場面で使います。

主題とは、すでに知っている既知のものを解説するときに提示されるようです。(1)の文では、既知を提示する「これ」が主題になります。(2)の「これが」は何のカギだかわからない未知のものなので、主題になりません。(2)は、主題のない文だということです。

 

3 主語という術語

主題とともに主語という概念が問題になります。<主語や主題をめぐる論争は>、日本語以外でも問題となり、<まだ終結していない>ようです。<言語学の用語として、主語を認める必要があるか不必要かという問題>です。森本は主語を認める立場をとります。

「アリスが走った」と「アリスは走った」は、主題の有無に違いがあるものの、<アリスがどちらも行為者だという点>で共通しています。また、「アリスがトランプの兵隊に追いかけられた」という受身の文の「が」を「は」に変更しても共通した機能があります。

前者の<能動文のハ、ガによって示される機能と、受動文のハ、ガによって示される機能を一つにまとめる用語が必要なのではないか>と森本はいい、その概念を示すのに<主語という術語を用いる>とのこと。私が「主体」と呼んでいる概念と似ています。

<受動文(受け身文)では、能動文の動詞の目的語が、主格で表示されるが、主題ハによる表示もできる。この二つの文のアリスの共通点は、動詞の意味の上での目的だということ>と森本は言います。述語を品詞で考えているために、複雑な話になっているのです。

*この項、つづきます。 [][][主題および主語という概念:日本語のバイエル一筆書き

⇒[「名詞文・形容詞文・動詞文」への疑問]で関連事項を書きました。

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