■金森久雄の勉強法:『大経済学者に学べ』から

1 ビジョンとツール

ときどき思い返して手にとる本があります。金森久雄の『大経済者に学べ』は、私にとって勉強法の本です。<「大経済学」とはビジョンとツールとが結合したものである>。これがこの本の書き出しです。シュンペーターの考えを採用しています。

金森はむずかしい用語も、さらりと説明する人です。<ビジョンとは社会状態の基本的な特徴についての洞察であり、ツールとはそのビジョンを具体的な理論に作り上げる用具である>、両者を兼ね備えた人から学べ…ということです。

下村治は「日本経済は勃興期にある」というビジョンをもとに、下村理論を展開した、と金森は見ています。<細かい分析があってそこからビジョンが生まれてくるのではない。その逆で、「始めにビジョンあり」だ>と言い、ビジョンの必要性を訴えます。

 

2 すぐれた著者を見出す直覚力

いま学ぶべき学者として、ケインズ、フリードマン、シュムペーター、ドラッカー、マルクスを選んでいます。日本からは下村治と高橋亀吉が選ばれています。日本近代経済史にもない重要証言が、さりげなく記されてもいます。

1930年に高橋亀吉は石橋湛山、小汀利得等と組んで、時の旧平価解禁に対して果敢な論争を挑み、当時の日本銀行や大蔵省の官僚経済学を批判したが、高橋は当時まだ珍しかったケインズの論文を読んでいたのである。これは高橋自身が私に語ったことであるが、その頃イギリスでケインズは金本位離脱の主張を展開していた。このような新知識で理論武装した高橋に、当時の旧式な官僚経済学が完敗したのも当然である。

昭和恐慌を引き起こした政策の失敗を、当時批判したのが、高橋亀吉や石橋湛山などでした。<私が高橋について評価するのは、多くの書物の中で優れた著者を見出す直覚力が優れていたことである>…と金森は書いています。金森自身も同様の人でした。

全ての学説に<いちいちつき合っていては自分で考えている時間がない>、<一部は精読し、他は学説史でカバーする>、つまみ食いでもよいのです。<その程度の気持ちでないと、経済学の波に巻き込まれて、自分の考えを発展させることはできない>からです。

 

3 旗幟を鮮明にする

朝鮮戦争の頃の過剰生産論が間違いだと1951年「特需と日本経済」で論じて以降、金森は、ケインズの考えを中核にして、旗幟を鮮明にしてきました。1965年、あまりのひどい政策ミスに対して、役人を辞めて政府批判をしようと思ったこともあったようです。

1997年刊のこの本でも、<平成九年度の予算でも、まだ有効需要が不十分な時に、消費税を三%から五%に引き上げるという政策>をとったことに対し、<経済学的に誤った政策である>と書いています。そのとおりになりました。

<ケインズ理論を、消費関数、投資関数など五本か六本の式にまとめて、これがケインズ経済学のエッセンスだという学者がいるが、それはケインズの骸骨で、エッセンスはその外にあると思う>、経済学説を単純に受け取ることへの嫌悪が、ここにはあります。

金森はハロッドに学び、高く評価しながら、イノベーションの影響を無視している点に問題があると言います。イノベーションにより競争力を強めることが国際収支の黒字に役立つと論じた「経済成長と国際収支」で、金森理論が生まれたと、ご本人が書いています。

 

4 「企業」というミクロ的基礎

大経済学者の中にドラッカーが入っていることにも驚かされます。<大きく、かつ豊かなビジョンを提供した点で私はドラッカーを大経済学者の一人に数えるのである>と記します。ドラッカーの著作から、金森は経済学の中核理論を抽出してきます。

現代においてイノベーションを担うのは、企業であるといえます。「市場を作り出すのは事業家である」と『現代の経営』でドラッカーは書いています。ドラッカーは、顧客の創造をすることが事業行為であると言うのです。金森は、この点を評価します。

ケインズ経済学は、投資や消費といったマクロ的な動きが経済の発展や変動をどのように生み出すかという問題を主に取り扱ったが、実際に投資を行うのは個々の企業である。したがって、マクロ経済学は企業を中心としたミクロ経済学によって補完されなければ本当の役には立たない。ドラッカーはケインズやシュムペーターによって築かれたマクロ理論に、「企業」というミクロ的基礎を与えた。

こうしたドラッカーの評価を見ると、金森が自分の頭で経済学を作り上げようとしてきたことがわかります。金森はたくさんの本を書いてきました。その中から一冊となると、この『大経済学者に学べ』ではないかと思います。

 

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