■日本語性善説への転換と日本語文法:『アングロサクソンと日本人』から

 

1 英語に自信を持つ過程

イギリス人は英語に劣等感を持っていました[英国人が英語に自信を持った時代]。英語もまあまあだと感じられるようになったのが1560年頃だったと、渡部昇一は『アングロサクソンと日本人』(1987年刊)で語っています。エリザベス女王が即位した時期です。

その後、エリザベス朝文学が花開いてシェイクスピアが出てきます。しかし、フランスに較べると劣等感がありました。さらに100年後の1660年頃になってイギリス人も英語に自信を持ち始めたようです。それでも、いま一歩という感じが残っていたようです。

英語とフランス語に違いがあるとき、イギリスの方がダメだと思っていた文化人も、18世紀半ばには、違いをイギリスの誇りにするようになっています。前回ふれたラウスの文法書は1762年、マレーの文法書は1795年出版です。この頃、転換が起こったようです。

 

2 国語性善説への変化

イギリス人が英語に自信を持つようになったのは、経済力が強くなり文化的な厚みが出てきたためでした。定番の文法書が出て、分析可能な言語にもなりました。日本語の場合も、経済力を背景に日本語性悪説が日本語性善説へと転換していったと考えられます。

渡部はワープロ専用機の出現をひとつの契機と見ています。ローマ字論者や仮名論者が日本語を改良しようとしたのに対し、そのままの日本語を処理する機械が出てきたことを重視しています。これで国語改革論がほとんど出てこなくなったという分析です。

<日本は、明治以来国語性悪説が主流であった。戦後しばらくの間は性悪説が特に強かった。このごろはようやく性善説になってきている>と渡部は語っています。この本のもとになった連続講演は1982年に行われました。30年たって国語性悪説は消えたようです。

 

3 理屈と慣習の折り合い

イギリスでも、英語に自信がついてから数十年後に、文法書が出ています。定番の文法書が出来るまでの過程を、渡部は一筆書きしています。まず、1761年に出たジョウゼフ・プリストリーの文法書を、翌年に出たロバート・ラウスの文法書と較べています。

プリストリーという人は科学者で、当時の英語のあるがままの書き言葉から文法規則を作っていきました。これが売れなかったのです。一方、ラウスの本は、文法を理屈で整理したものでした。こちらはよく売れました。国語には体系が必要なのでしょう。

その後、一世を風靡したリンドレイ・マレーの文法書が出ました。マレーは弁護士をやって成功した人でした。裁判と同じ発想で文法を作ったそうです。<理屈一辺倒でもなければ慣習一辺倒でもない。妥当な折り合いをどの辺に置くかということだった>。

現在の日本語文法の本をみると、「あるがままの書き言葉」から文法を作る傾向が強いと言えそうです。それだけでは、日本語の構造を体系的に示すことはむずかしいようです。国語性善説の時代にふさわしい文法書が出てくることを期待しています。

 

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