■「読点の極意」:ビジネス文の場合

1 読点がなくても意味が明確か…?

日本語の場合、わかち書きをしませんので、読点が重要になります。漢字と仮名が混じった文は読みやすいのですが、読点がないと、誤解しそうになる文もあります。読点に関して、基本ルールとなりそうなのが、宮脇孝雄の指摘している点だと思います。

『翻訳の基本』で宮脇孝雄は、「読点の極意」という項目を立てて、書いています。<読点の打ち方次第で意味が変わるようなら、それは下手な文である>。その通りだと思います。読点がなくても、意味が明確な文がよい文です。

こんな文ならどうでしょうか。<殺された女性は58歳で正気を失った息子の手にかかったのだった>。女性が58歳なのか、息子が58歳なのか、この文からはわかりません。女性が58歳だったなら、「殺された女性は58歳で、正気を…」になるのでしょう。

 

2 重文にする理由があるか…?

宮脇孝雄は、先の文を書き換えています。女性が58歳だった場合、読点がなくても誤解されない文にできる、ということです。
<殺されたのは58歳の女性で正気を失った息子の手にかかったのだった。>

この文も、やはり読点を打ったほうがわかりやすいと思います。一つだけ、読点を打つとしたら、どこに打ったらよいでしょうか。たぶん、以下のようになると思います。
<殺されたのは58歳の女性で、正気を失った息子の手にかかったのだった。>

この文は、重文なのでしょう。
(1) 殺されたのは58歳の女性であった。
(2) (この女性は)正気を失った息子の手にかかったのだった。

重文の場合、二つの文を接続する場所に読点を打つと、文の構造が見えるため、意味がとりやすくなります。重文というのは、二つのことを並列に並べて、一つの文にしたものです。文を並列にした方がよい場合に、使うべき文構造です。

 

3 主体の選択が大切

ビジネス文の場合、文構造についての基準があります。単文が原則、必要に応じて重文を使い、複文を多用しないこと…です。宮脇の書き換えた文は、わかりやすい文ですから問題ありません。しかし、単文にしてみたらどうか、考えてみましょう。

最初の文は、<殺された女性は58歳で、正気を失った息子の手にかかったのだった>…です。主体は「殺された女性(は)」です。述部は「正気を失った息子の手にかかったのだった」です。この文も重文のようです(「殺された女性は58歳であった」)。

一文が長い場合、二つに分けるか、意味をまとめて重文にすると、わかりやすくなります。しかし、この例文は長文とはいえません。ビジネス文の基準からすると、出来たら単文で読点なしでもわかる文にしたいものです。

単文にする場合、主体を何にするかが大切です。<殺された58歳の女性は、正気を失った息子の手にかかったのだった>、あるいは「58歳の女性が…殺された」を核にして、<58歳の女性が、正気を失った息子(の手)に(かかって)殺された>…なら単文です。

 

4 まとめてみると…

まとめましょう。ビジネス文の基準からすると、まず宮脇孝雄のいう「読点の極意」は大切です。読点がなくても意味が明確な文がよい…ということです。では、読点は不要なのでしょうか。そんなことはありません。必要です。

読点というものは、文をよりわかりやすくする機能を持つ…ということです。もともとの文がわかりやすいのが原則で、よりわかりやすくするのが読点である、ということになります。逆に言うと、読点の打ち方が難しい文は、よくないということです。

では、文のわかりやすさの基準は、どんなものでしょうか。原則的には、単文がわかりやすいと言えます。必要に応じて重文を使うということです。主述の関係を意識して、主体を適切に選択するなら、文がわかりやすくなると言えそうです。

 

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