■テイラーシステムと西堀栄三郎の手法

 

1 テイラー『科学的管理法』1911年刊

フレデリック・テイラーは、作業の標準化をすることによって、効率のよい労働者管理を行う方法を示しました。これがテイラーシステムです。1911年に出版された『科学的管理法』は、100年たっても、歴史的な価値から、いまだに読まれています。

バートランド・トンプソンによれば、1918年以前のテイラーシステムの適用例は、アメリカ169件に対して、ロシア9件、日本6件、フランス5件、イギリス4件、カナダ4件オランダ2件、スイス1件、オーストリア1件です。アメリカ中心のシステムです。

この管理法は、外から評価基準を設定する点に問題がありました[「テイラーの死」]。テイラーシステムに、早い時期から反発したのが、西堀栄三郎(1903-1989)でした。戦後の日本の経営に大きな役割を果たしています。学生時代の経験が影響したようです。

 

2 日本でのテイラーシステム導入例

西堀栄三郎は、『技士道 十五ヶ条 ものづくりを極める術』に書いています。<兄は第一次大戦の後、欧米諸国に渡りGEやフォードなど多くの企業を見て歩き、そこで採用されていたテーラーシステムを学び、その信奉者になって帰ってきた>。

昔ながらの義理人情を重視するお父さんと対立して、お兄さんは、自動織機を導入した自分流の近代的織物工場を始めました。そこにテイラーシステムを導入しています。一方、お父さんの工場は、1927年、北丹後で大地震が起こった際、被災しました。

西堀がお見舞いに行くと、作業員から仕事をしたいとの強い要請があったため、お兄さんの工場に連れて行ったそうです。自動織機など扱ったことのない女性達ですので、お兄さんは嫌がったようですが、無理にお願いして、昼夜二交代制の仕事が始まりました。

 

3 新人さんたちの工夫

新しくやってきた女性達は、半年か一年かかると思われた自動織機の使い方を、一週間で完全にマスターしました。ひと月の生産を集計をしてみると、新人さんたちのほうが、不良品は少なく、生産量も多いという結果が出ました。お兄さんは言葉もありません。

西堀も加わって、原因の追跡調査をしました。原因はすぐわかりました。同じ村の同じ境遇の者同士の一体感でした。自動織機を扱ったことのある人が一人いたため、その人を先生にして、みんなに教える自主的な学習が行われていたことがわかりました。

検査係が不良品を見つけると、すぐに織った人のところに行き、注意を促していました。直ちにフィードバックしたため、効果がありました。新人さん達は、生産性を上げるには、機械を遊ばせておかないことだ…と気づいて、止まらない工夫をしていました。

 

4 西堀のプラグマティズム

分業による責任分担の考えに弊害があったと西堀は感じました。<人間から「考える」という人間本来の持つ機能を奪ったシステムが労働意欲の低下を引き起こし、それがひいては出来上がった製品にまで影響を及ぼすのである>。西堀の基本思想です。

自分で考える教育が行われる場合、テイラーシステムはふさわしくない、と西堀は確信します。その後、京都大学助教授を経て、東京電気(現・東芝)に移り、1939年、アメリカに留学しました。留学時、GEにいたプリチャードという技術者に出会っています。

GEでは、日本で長年時間をかけて教育していたものを、一年間で身につける仕組みをとっていました。アメリカには強いところがあったのです。西堀は、大きな影響を受けています。西堀流のものづくりの方法には、日本流とアメリカ流が共存しています。

友人の桑原武夫が、プラグマティズムの話をしたとき、圧倒的な理解を示したのは西堀でした(『人間素描』)。人間性に合致した仕組みを作り、成果を検証する、成果が不十分なら人間性に合致していない…という発想は、マネジメントの基本になると思います。

別のアプローチから、ウィナーが類似の考えを The Human Use of Human Beings (1950年) で基礎づけています(業務システムの目的)

 

 

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