■文章の判定法:読解の訓練のために

▼読解力向上にはよい素材が必要

縁あって、夏休みに大学で文章読解の講座をしました。公務員試験を受験する人向けの講座です。21題の問題を扱いました。ビジネス人向けのときと同様に、素材となる問題文がすべて完璧だと考えないでくださいというお話をしました。

問題文自体のよしあしを考えることは、あまりないのかもしれません。実際、ずいぶんひどい文章も出題されています。ベテランの方が問題を選択していますので、いまの傾向からそんなに離れていないはずです。

素材になった文章は短くて、すべてが非文学的文章です。評論が中心です。哲学的なものもありました。よい文章は、内容が明確です。そうしたものはだいたい4題に1題くらいの割合でした。なぜ、よい文章であるかどうか知る必要があるのでしょうか。

これは簡単なことです。よい文章をきちんと読解することが実力を高めるからです。あいまいな文章を素材にした問題に正解できても、単に当たったというに過ぎません。よい文章を読むことで、読解する人の能力が高まります。

レベルの高い論理展開をたどっていくことは、明確な論理展開を学ぶことになります。よい素材の問題に取り組むことが、実力をつけることになります。よい問題がきちんと理解できるようになれば、それ以外の文章も読解しやすくなります。

ダイヤモンド職人になるために、本物を繰り返し見る必要があるのと同様のことです。よい素材に取り組む必要があります。そのためには、よい文章かどうか、ある程度、判定できないと困ります。これにはそれなりの時間、3ヶ月や半年はかかります。

 

▼主体が明確な文章がよい

それでは、どうしたらよい文章を見つけられるでしょうか。まず、問題文の最初の一文に注目することです。出題者が、これでわかると判断してトリミングしたものですから、切り取った最初の部分は注目に値します。

最初の文の構造を見ると、その後がかなり予測できます。まず、文の主体が明確かどうか、チェックすることが大切です。こんな文がありました。
≪科学が万能でないことは、科学がいちばんよく知っている≫。

「よく知っている」のは誰なのでしょうか。「科学が万能でないことは」…は本来、「科学が万能でないことを」でしょう。「知っている」の主体は「誰」なのか。「科学」のようです。誰にあたる語句を入れない理由がわかりません。これに続く文章は、以下です。

≪その科学の限界を超えた発展をするためには、次元の異なった世界に対して一歩を踏み出していかなくてはならない≫

これでは、誰が「踏み出していかなくてはならない」のか不明確です。この調子で最後まで進みます。主体が不明確な文章は、出来の悪い文章です。

 

▼あいまいさを排除した文章がよい

こんな問題文もありました。出だしの一文です。

≪「妥協する」ということは、我々日本人の慣習では、何やら節操のない態度や、自己を裏切るようなことを連想させるし、ドイツやフランスなどでも、やはり自己の敗北を意味するようなふしがあるが、イギリスではそうではなく、すこぶる積極的な意味が持たされている≫

一文がだらだらと続き、冗長です。あいまいな言い方もよくありません。「裏切るような」という言い方は避けるべき表現です。「ような」と「ように」とでは、ずいぶん違います。「野菊のような人」の「ような」を「ように」に変えてみれば、違いがわかるはずです。

「野菊のように」ならば、そのあとに、たとえば「美しい・かわいい・きれいな人」が来ます。「ような」は、あいまいです。「ように」に変えられるなら、そこに明確な概念を示すことができます。「ように」に変えられない場合、たいてい不要な「ような」です。

この問題文は、内容のある文章でした。しかし、どうも詰めが甘いのです。「ような」だけでなく、「など」も不要です。あいまいな言い方をする文章は、自信のなさ、頼りなさを感じさせます。実際、詰めの甘い文章でした。以下のほうが明確でしょう。

≪「妥協する」とは、我々日本人の慣習では、節操のない態度や、自己を裏切ることを連想させる。ドイツやフランスでも、自己の敗北を意味するふしがある。しかし、イギリスでは、すこぶる積極的な意味が持たされている≫。

文を明確にすることが、内容を明確にすることにつながります。文章を判定するとき、主体が明確であるのか、あいまいな表現がなされていないか、このあたりから探ってみたらいかがでしょうか。

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