■音読・活字化、時間を置くこと:文章の検証

1 文章の確認

文章を書いた後、自分の文章を振り返って直しを入れることは、しばしばなされます。ほんのわずかな手間をかけることによって、単純なミスがかなり減らせます。文章の見直しをすることは、割に合うものだといえます。

以前このブログでも文章の練習法の一つとして、推敲の方法をお勧めしました(「一番簡単な文章訓練:文章の活字化」)。音読とプリントアウトを利用することによって、自分で自分の文章が検証しやすくなるということを書きました。

先日、杉浦和史先生とやり取りする中で、平井昌夫『文章を書く技術』の一節が話題になりました。先生は同感だとおっしゃっています。その部分は以下です。

文章の推敲は書き終えてすぐにはしないほうがいいようです。書き終えてほっとしますと、自分の文章を見るのもいやになってお座なりになってしまいます。また、書き終えてすぐに自分の文章を読み返しますと、まだまだ書き手としての気分が残っているために、内容の筋道がおかしくても、語句の使い方が正しくなくても、ごたごたして表現になっていても、飽き足りない面や、書きすぎた面があっても差し支えないものとして読みすごしてしまうことが多いのです。自分の文章にきびしい推敲をするには、2~3日の“冷却期間”をおいて、書き手のとしての気分をなくし、読み手の気分で自分の文章を読み返すのがよいでしょう。

ビジネス文書を2~3日放置するのは、現実としては難しいでしょう。杉浦先生自身、そんなに日を置くことはないと思います。引用にも「きびしい推敲をするには」と書かれています。ビジネス文を考えるとき、自分の文章に、どう向き合えばよいでしょうか。

 

2 時間に変わる客観視の方法

自分の文章を読むときに、自分の思い入れがない状態になっていないと、効果の上がる見直しができない…という点が大切です。客観的な目で自分の文章に向かい合えるなら、自分で自分の文章が見直せるということです。

客観視するために、時間は大切な要素です。古典といわれる作品は、長い時を経て生き残ってきたものですから、ただの流行とは違った厳しい評価がなされたといえます。だからこそ、古典を読む価値があるということでしょう。

しかし、ビジネスは忙しいですね。スピード化時代にふさわしい、時間を代替する文章の検証法が求められます。自分の書いた文章を客観視する手法として、二つの有力な方法があります。

一つは、文字を消してしまうこと、つまり声に出して音から判断することです。これが音読です。音読をすることによって、目で見たときの感覚と違う受け止め方ができます。それを利用して、自分の文章を検証することができます。

もう一つが「活字化」です。文字を活字にすると、無機的な感じがします。そのため客観視しやすくなります。平井昌夫の本は、1972年に出版されたものですから、まだワープロ専用機もパソコンもなかった時代のことです。当時より有利な条件が生まれています。

 

3 初心忘るべからず

それでは、もう時間を置いて読み返す必要はなくなったのでしょうか。そんなことはありません。やはり時間を置くことの効果は絶大です。私たちも、上手に利用する必要があります。

谷崎潤一郎の展覧会を見た宇野千代が、谷崎潤一郎のすごさを語った文章がありました。若いときの原稿が、きれいに保存してあったことに感嘆しています。自分を頼む気持ちがあるからこそ、文豪になれたのだというのです。

さいわいデジタル化された文書は、保存が簡単です。私たちは、時を経て、自分の拙い文章と向き合う必要がありそうです。「初心忘るべからず」という言葉は、本来、自分の拙い「初心」の芸を忘れないようにという意味でした。

けっして初心のまじめな覚悟や情熱を忘れるなという道徳的な教えではない。むしろ初心の藝がいかに醜悪であったか、その古い記憶を現在の美を維持するために肝に銘じよという忠告なのである。 山崎正和「変身の美学」

現在の自分のレベルも、あとから振り返れば、拙いものであるはずです。また、そうでなくては困ります。そのつどそのつどの確認はもちろん大切です。しかし、時間をわれわれの味方につけて、時に自分の書いた文章を振り返る必要がありそうです。

大切な事柄は文書化しておくことです。それは自分のためでもあります。

 

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