■いわゆる速読について:『本を読む本』を参考に

1 速読コースを受講した若手リーダー

速読への関心はかなりありそうです。1年半ほど前、若手リーダーというべき地位にある人から、十数万円を出して速読のコースを受けてきたと聞いて、驚いたことがあります。せかせかしている感じもしないのに、そんなに速読が必要だったのでしょうか。

効果はどうでしたか…と聞いてみると、まあ少しはいいのではないかと言うのです。何となく魔法のような方法があるかのように、長年、思っていたそうです。きちんとしたコースだと思ったので、そこで秘密を探ろうとしたとのことです。

この人の場合、速読術を身につける以上に、世の中にいう速読というものが、どんなものなのか知りたかったようです。その結果、彼は安心感を得たようです。この程度なら、自分も出来るという感じなのでしょう。魔法はないと確認できたようです。

時間をかけて読んでいる本が、何分の1の時間で読めるようになったら、すばらしいことです。ただ、速読術の対象となる本は、丁寧に読むべき本ではないようです。スピード重視の対象になる本のようです。それも当然かもしれません。

世の中には「拾い読み」にも値しない本が多いし、さっさと読み通すほうがよい本もかなりある。ゆっくりとていねいに読んで、完全に理解しなくてはならない本はごく少数しかない。速読のほうが向いている本に時間をかけるのは無駄というものだ。 M.J.アドラー C.V.ドーレン『本を読む本』

しかし、速読が理解を伴うといえるのか、この点が問題です。

 

2 速度を先行させても意味がない

『本を読む本』でも書いています。「読みの速度がませば、それにつれて理解力もますと、どこの速読教室でも言っている。この主張は全く根拠のないものではない」。理由は集中力が増すからです。しかし、条件があります。

「集中力さえあれば理解が深まるというものではない」。ですから、速読に適した本でなくてはいけません。具体的に言うと、「『速読教室』は、基本的にはこの本の『初級読書』のレベルの読み方を教えるものである」。

初級読書というのは、「読み書きの全く出来ない子供が初歩の読み書きの技術を習得するためのものである」。「十代のはじめまでには、読み方能力の完成期ともいうべきこと段階に到達しておくことが必要である」とあります。小学校レベルということです。

これらの点について、私もほぼ同じ考えです。初級読書のレベルを別な観点から言うと、まだ要約が出来ない読書のレベルだということになります。十分な理解を必要とする書物の場合、速度が先行して理解が追いかけることなど、ありえません。逆です。

 

3 理解を先行させる効用

十分な理解が得られるように、時間をかけて取り組むことが大切です。こうした読みを繰り返すことによって、理解力が向上し、知識が増えてくれば、徐々に読む速度が速くなってくるということでしょう。

本当の意味での速読は、速い理解を伴うということになります。そのためには、理解を先行させることです。速度を先行させるのはナンセンスです。そして、きちんと理解するためには、文章の構造が見えていなくてはなりません。

先ほど、初級読書のことを、要約できないレベルといいました。逆に言えば、理解できたかどうかは、きちんと要約できるかどうかで判断できます。要約の仕方については、以前書きました(「文章の設計図づくり:ビジネス文書の練習」)。

きちんと要約するなり、きちんと理解しながら本を読むのは、なかなか大変なことです。速度を優先させて、ページと時間を数字に換算して、「速く読めた!」というほうが達成感もあって、楽しいのかもしれません。

しかし、速読教室に行ったから、理解力が高まるということはなさそうです。一定以上面倒な本であっても速く読めるようになるには、理解を先行させる必要があります。こうした訓練が基礎になって、ビジネス文書も作れるようになります。

自分の気に入った本を丁寧に読んで、正確に読み取ることは、読書の楽しみです。ときに自分なりの読み込みで、他の人が感じられなかったことまで読み取れたと思うときなど、読書の醍醐味を感じます。理解を先行させる必要がある、と強調したいのです。

 

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