■現代の文章:日本語文法講義 第12回

(2022年3月18日)

     

1 【語彙】×【文法】⇔【意味】

岡田英弘は『歴史とはなにか』で、日本語の散文を開発するために、[明治の初めの日本人は、英語やフランス語やドイツ語を直訳して、ヨーロッパ語で表現されることがらはなんでも、日本語でも表現できるようにしようと努力した](p.187)と指摘していました。

日本語で、近代的な概念を正確に適切に表現できるなら、日本語も近代化したことになりますから、これは大切なポイントです。日本語で表現するときに問題となるのが、語彙と文体をどうするかということでした。

語彙の問題について、岡田は言います。ヨーロッパ語にない語彙を表す言葉が日本語にない場合、[新しい漢字の組合せを作って、ヨーロッパ語の語彙に当てて訳語にする](p.187)ことにしました。

一方、文章のスタイルとなる文体を開発するのには苦労することになります。[漢文を日本語で訓読しても、論理を表現できるような文体にはなりにくい](p.186)のです。そのため[ヨーロッパ文直訳体の散文の文体を開発](p.187)するしかありませんでした。

ここで近代言語の開発の問題を図式化して考えてみましょう。それまでになかった近代語の散文を創造するときに、日本語では語彙(単語)の問題と文体(文法)の問題を解決する必要がありました。

何かを作り上げるときに、われわれはどんなことが必要とされるのでしょうか。畑村洋太郎は『創造学のすすめ』で、この点を図式化しています。まず畑村は「創造」について、「いままでになかったものを新しくつくり出すこと」と定義しました(p.17)。

この定義を畑村はさらに詰めていきます。[創造物は、それを構成する「要素」から成り立っている]、[世の中の事象(モノやコト)はすべて要素から成り立っています](p.19)。さらに[要素は様々な形で結びついていますが、この結びつき(関連)を構造といい][最終的にできた形を「全体構造」といいます](p.19)。

要素と構造によって[全体構造としてできたものは、なんらかの働きをしています。その働きのことを創造学では「機能」といいます](p.19)。このように[世の中の事象は「要素」「構造」「全体構造」「機能」という言葉で説明できる](p.23)と畑村は考えます。

したがって畑村の創造の定義は、「『要素』や『構造』の組み合せによって、新しい『機能』を果たすものをつくること」となります。これをシンプルな図式にするならば、【要素】×【構造】⇔【機能】ということになるでしょう。

この図式に日本語の近代的散文の開発を当てはめて考えるとどうなるでしょうか。開発の過程を見るときに、よい補助線になります。

まず散文の要素となるのは、語彙・単語です。構造にあたるのは、文体あるいは文法といってよいでしょう。全体構造は、近代的な散文になります。そこで求められる機能は「日本語でヨーロッパの近代概念をすべて、論理的に表現すること」でしょう。

問題のポイントをシンプルな図式にすると、【語彙】×【文法】⇔【論理的表現】ということになります。単語と文法は、すでにあるものを使いながら、そこに新しいものを付加していくことになりました。それによって、新しい表現を生み出す必要があったのです。

もう少し一般化するならば、散文の機能を「論理的表現」とするよりも、「意味」とすべきかもしれません。つまり【語彙】×【文法】⇔【意味】ということです。

近代的散文をつくるために、日本人は新しい単語をつくり、散文用の文体を開発して散文用の文章を標準化する必要がありました。単語と文法の両方を新たにしなくてはなりません。しかしそれらの開発は同時並行的ではなかったようです。

    

     

2 日本語訳の用語が的確だった理由

散文用の文章を標準化するために、どこから手をつけていく必要があったでしょうか。これは外国語を学ぶ視点で考えてみれば、明らかになるかもしれません。千野栄一は『外国語上達法』で、言葉の何を学ぶべきであるかについて、シンプルな答えを示しています。

千野はS先生という語学の神様に外国語の「何を学ぶべきなのか」を質問しました。答えは、「覚えなくてはいけないのは、たったの二つ。語彙と文法」(p.41)というシンプルなものででした。これを受けて、千野は言います。

▼単語のない言語はないし、その単語を組み合わせて文をつくる規則を持たない言語はない。すなわち、何語を学ぶにしても、この二つを避けて通るわけにはいかない。
そして、S先生はいとも簡単にこの二つという指摘をなされているが、この語彙(一つの言語にある単語の総和)と文法、という順番がまた大切な意味を持っている。まずは単語を知らなくてはダメである。 pp..41-42 『外国語上達法』

文法に先だって、単語を知らなくてはならないということです。近代的散文を開発する場合でも、文法の整備よりも前に、日本語になっていない語彙を、日本語にする必要があります。こうした日本語への翻訳については、すでに少し触れました。

連載7回目で、この点について書いています。とくに『日本列島の言語』所収の亀井孝「日本語(歴史)」という論文での主張が大切でした。「漢字2字で作られた新しい漢語」が西洋概念をうまく日本語にしてくれたのです。

亀井は漢語が本来、外国語だったために意味以外のニュアンスがわからないために、漢字一つ一つに対して無色な感覚で接することができた点を指摘します。その結果、かえって概念の意味を漢字で的確に表現できたのでした。

しかしそれだけではありません。日本語が新しい言葉の作るときに、有利な立場にあったのです。ここでも蘭学を学んだ人がいたことが大切でした。オランダ語が漢字2字の単語をつくるときにも、役だったのです。

渡部昇一は『歴史の読み方』で、オランダ語の特質を指摘しています。[ゲルマン語系統にも多くの外来語が入った時代があるが、言葉に対してひじょうに潔癖で、オランダ語のように、突如として母国語に目覚め、中世に入れたラテン語をわざわざほとんど全部なくしてしまった国もある](p.164 :祥伝社文庫版)。

これが日本語訳を作る際に、影響を与えました。

▼オランダ語というのは、ゲルマン語系統の中でも極端な例だが、そのおかげで、明治維新前後の日本の学術用語の訳がじつに的確になった。どうして明治の人が「フォーカス(focus)」を「焦点」と訳せたのか。「フォーカス」を語源辞典で引くと、ラテン語で「いろり」という意味である。しかし、明治の人たちは、みんな蘭学をやっていたので、オランダ語でちゃんと意味をとって、「ブランドプント(brandpunt=燃える点)」と訳していたのである。同じようにドイツ語でも、ブレンブンクト(Brennpunkt)という。もし、英語のフォーカスからだったなら「焦点」という訳が出たかどうか疑問と言わねばならない。 p.164 『歴史の読み方』NON POCHETTE(祥伝社文庫)

英語からでは、概念がうまくつかめなかった可能性がありました。渡部は[明治時代の学術用語で上手いなあ、的確だなあと思うのは、多くはオランダ語かドイツ語系から訳したからであろう](p.165)と指摘しています。

    

      

3 日本語の漢字用語がもつ利点

このように、近代概念を日本語に訳していくことができました。おもに漢字2文字からなる日本語訳は、多くのものが日本語として定着していくことになります。こうして新たに作られた日本語の用語が、日本語の特質になっていくのです。

亀井孝は「日本語(歴史)」(『日本列島の言語』所収)で、[漢語をもって日本語を守った]と記しました。もし、外国語そのままの形で取り入れようとしたら、[日本語の本性を根底から揺り動かしたことと思われる](p.151)からです。

さらに言えば、漢字からなる新しい用語は日本語を守っただけでなくて、さらに積極的な役割を果たすことになりました。例えば英語と比べてどうでしょうか。『日本語と外国語』で鈴木孝夫は、この点に言及しています。

▼英語を少しでも深く学んだ人ならば、誰でも経験することの一つに、いくら覚えても切りがないほど、難しい単語が次から次へと出てくるということがある。
たとえば読書中に osmotic pressure という表現に出会って、辞書を引くと≪浸(滲)透圧≫のことだと書いてある。次に exudation とあって、これも調べてみると≪浸(滲)出(液)≫という訳語がついている。 p.128 『日本語と外国語』

英語の単語の場合、[辞書によってその意味を知った後で、改めて字面を見直してみても、なるほどそうかと思う手がかりが、どこにもない](p.128)のです。

さらに鈴木は指摘します。[自分がそれまで知っている普通の英語の、たとえば ooze, soak, pierce などのどれとも、言葉のうえで関連づけることが出来ない]のです。だから[そのまま丸暗記するほかはない](p.128)でしょう。[英語には、このような≪難しい≫単語が何百、何千とある](p.129)のです。

▼ところが日本語の場合だと、例え浸透圧とか浸出液などという、あまり日常的でない用語を始めて見ても、文章の前後関係などから、だいたいの意味の見当がつくことが多いと思う。仮に辞書を引く必要のあった人でも、説明を読んでしまえば、なるほどそうかと、今更のように意味の理解が地図等と対応する場合がしばしばある。 p.129 『日本語と外国語』

なぜであるかは、お分かりでしょう。[日本語では、日常的でない難しい言葉や専門語の多くが][日常普通に用いられている基本的な漢字の組合せで造られている](p.129)からです。

一方、[英語では高級な語彙のほとんどすべてが、古典語であるラテン語あるいはギリシャ語に由来する造語要素から成り立っている](p.129)という違いがあります。

同時にまた、日本語も漢字で表記しなかったならば、たいてい[ある語を耳で聞いた場合には、日本語の高級語彙も英語のそれに劣らず、何のことか理解できない]でしょう。これが[漢字という特殊な文字で表記された]ことの効果です(p.132)。

鈴木は、日本語の高級語彙が[漢字という薄物をまとっているため、中身が透けて見えてしまう](p.134)という言い方をしています。なぜ薄物なのでしょうか。[日本語で用いられている多くの漢字に、音読みと訓読みという二通りの読み方があるからにほかならない](p.134)ということになります。

鈴木は[訓読みの習慣のない漢字を含む専門語の多くは、素人が一見どころか、何度よく見ても自然に意味の糸口をつかむことが出来ない](p.134)点を指摘します。

たとえば[蛋白質という語]を[≪たん白質≫と書き変えても、初見(初聞)で分からない]でしょう。じつは「蛋」とは「卵」を意味しますから、いっそ「卵白質」とすれば[表記を見れば「ああ≪たまご≫の≪しろ(み)≫の成分かと分かるに違いない」](p.135)のです。

これを日本語の特質として、鈴木は以下のように記しています。

▼日本語では、もし基本的な漢字を成人する前に約二千字覚えてしまえば、あとはほとんどの高級語彙が比較的容易に理解可能となり、しかも自分で新しい高級語彙を、それも言語学に全く無縁の素人が、勝手に作ることさえできるのだといった利点を、外国人に説得的に教えられれるような教養が、今後の日本語教師に求められるのである。 p.149 『日本語と外国語』

鈴木は念を押すように、[言語の専門家でもない普通の人が高級語彙を作れるということは、じつは英語ではほとんどありえないことなのである](p.149)と書いています。こうした利点は、絶大な影響を持つことになりました。

佐藤優が『悪魔の勉強術』で語っていることは、きわめて大切なことでしょう。

▼シンガポール国立大学とか、中国の精華大学では、国際金融や物理学の授業は英語でやっていますが、それには歴然とした理由があるんです。グローバル化の影響では決してありません。英語のテクニカルタームや概念を、中国語のマンダリン(北京語)に訳せないからです。つまり、知識・情報を土着化できていない。その点、日本語で情報を伝達できる力というのは、日本が誇れる資産であり、長年の努力の成果だということを、再認識すべきですね。 p.66 『悪魔の勉強術』(文春文庫版)

日本語が近代的言語になるときに、概念理解のためにオランダ語の知識が役立ちました。蘭学者のオランダ語の知識が活かされたのです。さらに漢学の知識をもつ人たちがいましたから、漢字で近代概念を翻訳することが出来ました。

幸いなことに基本的な漢字2文字からなる用語をみると、その用語の示す意味が推定できたのです。日本では漢字を音読みするだけでなく、訓読みをしてきました。訓読みが出来る漢字ならば、意味内容が推定できるでしょう。

新しい概念を言語に取り入れるときに、その概念を表す言葉を作ることは必要不可欠でした。日本語の場合、新しい用語を作るときに、いくつかの有利な点があったのです。この利点を活かして、多くの用語を日本語にしていくことが出来ました。

用語が整備されてくれば、翻訳も可能になってくることでしょう。そのとき記述のスタイル、文体が意識されることになります。記述スタイルの標準化ということです。そのためにルールの整備が必要になります。これが次の段階で必要なことでしょう。