■現代の文章:日本語文法講義 第2回

    

1-4 日本語の文章が標準化された時期

谷崎潤一郎の『文章読本』は昭和9年に出されました。西暦1934年ですから、ずいぶん前の本です。その時代の日本語と、現在の日本語が違うのは当たり前かもしれません。第二次大戦をはさんでいますから、大きく日本語が変わっています。

谷崎は『文章読本』のなかで、日本語では[科学、哲学、法律等の、学問に関する記述]がうまくいかないと言っていました。しかし現在では、問題なく記述できている例はめずらしくありません。記述の仕方が問題であって、日本語自体の問題ではなくなりました。

そうなると、[緻密で、正確で、隅から隅まではっきりと書くようにしなければならない]学問や仕事で使われる文章も、もはや書き方の問題だということになります。記述すること自体は可能になっているということです。日本語が変容したといえます。

この点について、渡部昇一は「日本語の変容をもたらしたもの」という1976年の文章で、谷崎の『文章読本』に言及したうえで、日本語の変容を指摘していました。この文章は『レトリックの時代』に所収されています。

▼最近『ヴィトゲンシュタイン全集』が出たが、そのうちのある巻のごときは、原文よりもよくわかる。これは昔はほとんど考えられなかった現象であった。谷崎潤一郎も『文章読本』のなかで、翻訳書のわかりにくさを指摘し、そういう場合は原文を見るとわかると言っている。しかし現在ではそういう翻訳は数少ない。翻訳技術もさることながら、日本語自体が変容をとげたからである。 講談社学術文庫版 p.244: 渡部昇一『レトリックの時代』

渡部は1976年に、翻訳された文章の出来栄えによって、日本語の変容を確認しています。[緻密で、正確で、隅から隅まではっきりと書く]ことは[日本語の文章では、どうしても巧く行き届きかねる]という谷崎の指摘は、もはや妥当しないと言うべきでしょう。

1975年の講演「週刊誌と日本語」で司馬遼太郎は、[共通の日本語というものを、国語の先生も、作家も、ジャーナリストも、みんなでつくりつつあるというのが、いまの私の認識であります]と語っています。日本語の変容を前提とした話でした。

7年後の1982年、「文章日本語の成立」という講演で司馬は、[文章というのは、それがいいか悪いかは別として、社会の文化、あるいは文明の成熟に従って、やがては社会の共有のものになるんだ、ということをお話したいと思います]と語り出します。

「文章日本語の成立」とは[共通文章日本語の成立と言いたいところ]だと司馬は言い、[共通文章語というのはどういものかというと、一つの文章でいろんなものが表現できる文章ということです]と説明しています。

共通文章語が成立することによって、谷崎が日本語ではうまくいかないと指摘した[緻密で、正確で、隅から隅まではっきりと書く]ことが可能になるのです。1975年に[みんなで作りつつある]と言っていた司馬は、1982年の講演を、以下のように締めくくります。

▼共通語ができあがると、誰でも自分の感情、もしくは個人的な主張というものを文章にすることが出来る。文章にしなくとも、明治以前の日本人と違って、長しゃべりをすることが出来る。そういうようなスタイルが、共有のものとして、ほぼわれわれの文化の中には成熟したのだろうという、生態的なお話を今日は聞いていただいたわけであります。 朝日文庫版 p.198: 『司馬遼太郎全講演』

日本語が変容して、共通文章語というべきものがほぼ出来上がったのが、1970年代後半から1980年前後だったということです。こうした認識は、そう違和感のないものだろうと思います。現代の文章が日本語でもやっと確立し、標準化されたということです。

      

1-5 現代文を扱った日本語文法の可能性

日本語の文章が標準化されたのは、1980年前後だというのは、翻訳された日本語と、作家の感性によって推定されたものでした。これが正しければ、1980年以前に日本語の現代文の体系的な文法書が書かれなかったとしても、仕方のないことだったと言えそうです。

こうした事情を考慮すると、昭和9年(1934年)の時点で、谷崎潤一郎が[文法に囚われるな]と言っていたのは、正しかったのかもしれないのです。ただ、それはすこし行き過ぎた言い方にもなっていました。『文章読本』には、以下の記述があります。

▼日本語には明確な文法がありませんから、従ってそれを習得するのが甚だ困難なわけであります。 中公文庫版 p.63: 谷崎潤一郎『文章読本』

ここでいう[日本語には明確な文法がありません]というのは、日本語自体の問題でもあり、同時に文法書の問題でもあります。この点を整理して考えないと、間違うことになりかねません。谷崎の言うところは、どの程度正しいのか、検証が必要です。

ありがたいことに1983年出版の『スタンダード英語講座[2] 日本文の翻訳』で、安西徹雄が谷崎の『文章読本』を取り上げて、[谷崎の所説の検討]を行っています。検討しているのは、谷崎のあげた事例の問題、翻訳の問題、文法の問題の3点です。

第一に『源氏物語』の原文と、アーサー・ウェイリーの翻訳について。谷崎の指摘する点は、[英文一般の特徴ではなく、ウェイリー訳固有の癖による面も少なくない]ということです。谷崎のあげた事例は必ずしも適切でなかったということになります。

第二に[訳文が原文より長くなるというのは、翻訳一般に見られる現象であって、かならずしも日本文を英訳した場合だけに見られる現象ではない]とのこと。これも日本語の特徴を言うのに、適切な事例とは言えなかったということになるでしょう。

以上の2点は、もはやそれほどの問題ではありません。第三が一番の問題です。[日本語には文法がないという谷崎の言葉は、やはり誤解を招くおそれがある]と安西は言います。では、どういう風に考えればよいのでしょうか。以下のようにコメントしています。

▼日本語には西洋語の文法をそのまま当てはめることは出来ない、ということであって、日本語には日本語固有の明確な文法があることは言うまでもない。なるほど、明治以来の日本の文法学が、西洋語の文法をとかく機械的に適用しようとするところから出発したことは否めないし、そのような文法では、当然のことながら日本語のさまざまの現象を説明できず、実用の役にはあまり立たなかったことも事実かもしれない。 p.10: 『スタンダード英語講座[2] 日本文の翻訳』

こうした事情があったとしても、[日本語特有の発想法の体系が、今ではしだいに明確に理論化されようとしている]と、新しい文法の構築に期待をかけています。安西の本は1983年の出版でした。日本語の文法が成立可能になってきたと見ています。

    

1-6 北原保雄『日本語の文法』について

安西徹雄は英文学者であり、優れた翻訳家です。こうした教養ある研究職の人が期待する日本語の文法書には、注目すべき価値があるだろうと思います。『日本文の翻訳』では、新しい文法書について、以下のように書いています。

▼現況を手短かに知るには、例えば北原保雄氏の『日本語の文法』(昭和56年、中央公論社、「日本語の世界」第6巻)などが参考になる。特にこの本は、一種の文法論史としての性格も備えているので、日本文法研究の過去と現在を知ろうとする者にとっては、役に立つ。 p.11: 『スタンダード英語講座[2] 日本文の翻訳』

昭和56年ということは1981年に出版されたものです。北原保雄『日本語の文法』は、日本語の文章が標準化・共通化された頃に出てきた、はじめての注目すべき文法書かもしれません。体系的な本ですから、基本書になりうる本です。

1989年にまとめられた『言語学大辞典』第2巻の中に「日本語(現代 文法)」の項目があります。執筆したのは寺村秀夫でした。寺村は17冊の参考文献をあげています。1970年代の後半以降に出された本として、唯一あがったのが北原の『日本語の文法』でした。

北原保雄の文法について、どう評価されるべきものか、この点について、北原の著書『日本語文法の焦点』にある増淵常吉の「北原文法に学ぶ」という文章での評価が、参考になるように思います。増淵はきっちり文法を学んできた研究者です。

増淵は、[橋本文法に凝り固まっていた当時の私]が[ある相当な期間][時枝誠記先生から、大野晋氏同席のもとに、時枝学説の手ほどきを受けたことがある]と書いています。その後、渡辺実『国語構文論』にも取り組んだ研究者です。

▼昨年出版された北原氏の『日本語の世界6 日本語文法』(中央公論社)および『日本語助動詞の研究』(大修館書店)は、時枝文法や渡辺文法をさらに推し進めた、現時点における最高水準を保持する日本語文法論であると私には考えられる。 p.335: 北原保雄『日本語文法の焦点』

増淵はこの文章を1982年に書いています。[現時点における最高水準]との評価でした。この後に、この本を超える文法書が出されているかもしれません。ただ少なくとも、日本語の現代文が標準化された後に、最初に出された体系的文法書と言ってよさそうです。

第1章 文法について
第2章 文とは何か
第3章 文の構造(一)
第4章 補充成分と修飾成文
第5章 文の構造(二)
第6章 日本語の主語
第7章 主題をめぐる問題-「は」と「が」-
第8章 うなぎ文の構造
第9章 客体的表現と主体的表現

以上がこの本の目次です。最近、外国人向けの日本語文法を見かけますが、日本人向けに書かれた体系的な文法書は、あまり見かけません。40年前の本ですが、参考になると思いました。この北原文法を読みながら、現代文の文法について考えていこうと思います。

(2021年8月6日)