■データと気分:チャイナ経済をめぐって

     

1 流れが変わった2009年

リーマンショック後の2009年に、中国政府は4兆元(日本円で60兆円)の財政出動をしました。世界にとっても、中国にとってもインパクトのある金額でしたから、これが世界的な金融危機を救ったという評価もなされています。中国は、世界の資金を集めました。

しかし当時、チャイナ経済崩壊論が主張されてもいましたし、これで中国が圧倒的に強くなるとみていた人は、ごく少数派だったことを覚えています。いまから見れば、あそこが一つのターニングポイントでした。こういうことは、なかなか見えないものです。

たまたまその頃お会いした大手商社の幹部だった方に、チャイナ経済の今後についてお聞きしたことがありました。対中貿易のサポートをしていた人でしたから、流れが見ていたようです。これから圧倒的に強くなると、きっぱり言っていました。

     

2 信頼できるデータの欠如

チャイナ経済悲観論があるときでしたから、この種の言説に対して、どう思うかを確認してみると、この人は、全くあり得ないと言って苦笑するばかりです。出遅れた日本企業が対中投資を進めている中でのことですから、当然の反応でしょう。

中国の巨大な財政出動で、資金の流れが大きく変わったのです。ところが上海の株式市場は反応しませんでした。株価チャートを見ていただけばわかります。いったん上昇した後、2014年前半まで株価は上がるよりも、若干下がり気味で推移しているのです。

その後、2014年の後半から2015年の前半まで上海株式市場は急上昇し、そこから暴落しています。財政出動の効果はどのくらい継続したのか、よくわかりません。信頼できるデータがなくて、ある種の気分と言うべきものに支配されることになりました。

     

3 今後はデータが大切

2023年に対中投資が急減したことが報じられて、チャイナ経済の悲観論が強くなっています。資金が細ったら、いままでのようなエンジンはもうかかりません。長期で見れば、もう勝負は決まりました。しかし信頼できるデータがないので、気分に支配されます。

信頼できるデータがあって、そこにダメな数字が出てきたら、誰もがそれを否定できません。どうしたらよいのかを議論するしかなくなります。しかし国家の場合、巨大な存在ですから、データに良い悪いが混在していることが自然でしょう。難しいことです。

では気分は、どんなだったのでしょうか。留学生たちを見ていれば、ある程度わかります。2015年の株価の急落以降、浮かれているような気分はもはや見られません。当初は、またよくなるという気分が感じられましたが、それもなくなってきました。

経済の高度成長は終わったということでしょう。対中投資が減ったのも、その反映とも考えられます。いままでが異例だったということです。しかしそうなると、今後はデータが大切になります。正確なデータが出てくるのか、悲観的な気分で見るしかありません。

     

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■専門書の翻訳が日本語を論理的で明快・正確にした:川島武宜『ある法学者の軌跡』から

     

1 日本語の構造の不備

日本語の文章をチェックする講座と、日本語の読み書きの実力養成の講座が今期から始まります。二つを分けていただいたので、テキストを作るのが、ずいぶん楽になりました。日本語は苦労して近代化してきましたので、まだ文法が確立していません。

こういう話をすると、どうもよくわからないという人がでてきます。川島武宜の『ある法学者の軌跡』を見ると、「日本語に敏感になること」という小見出しをつけて、谷崎潤一郎の『文章読本』のポイントを引用して、[さすがに大谷崎先生だ]と記しています。

谷崎は[西洋から輸入された科学、哲学、法律等の、学問に関する記述]は[緻密で、正確で、隅から隅まではっきりと書く]べきものだが、[日本語の文章では、どうしても巧く行き届きかねる]、これは[日本語の構造の不備に原因している]と言うのでした。

       

2 谷崎潤一郎『文章読本』の指摘

谷崎の『文章読本』は1934(昭和9)年の出版です。当時の状況とさして変わっていないと、川島は考えているのです。[谷崎自身も、日本語というものは法律だとかサイエンスには適しないということを言っている](p.153)と言い、さすがに谷崎だと称賛します。

川島の『ある法学者の軌跡』が出たのは、1978(昭和53)年でした。谷崎の本から44年たっています。この時になっても、谷崎の言う通りだということです。学問に関する記述、法律だとかサイエンスに関する記述について、自分の経験を以下のように語っています。

▼私が外国語の本の翻訳をしていて感じたことですが、物事を正確に表現するということが、日本語では非常に難しいのです。ことに、少し論理的思考の過程が込み入ってくると、それを精密に明瞭に表現するということは、しばしば非常に困難である。

    

3 翻訳で苦労した人の貢献

川島は日本語への翻訳の観点から、[日本の翻訳を見ますと、昔に比べれば最近はずいぶんいい翻訳がたくさん出て]いる点を認めています(p.158)。そして[いい翻訳がたくさん提供されたなら、日本の学問は非常に進歩するのではないか]と言うのです(p.159)。

ここで川島は大切な指摘をします。翻訳が日本語を変える可能性を示すのです。[翻訳で本当に苦労した人が書いた論文の文章というものは、日本語としても、大体において非常に明快、正確だと思います。これは一般的に言えることだと思います](p.159)。

学術的な外国語の文章を、明快で正確な日本語にしようとして苦労することによって、日本語の文章が論理的になってきたのです。戦後になって、いい日本語の翻訳本が出はじめて、2000年になる頃にはそれが逆転して、おかしな翻訳が例外的になりました。

欧米先進国の学問を、違和感のない日本語で記述できるようになるのに、百年以上かかったのです。「翻訳で本当に苦労した人が」日本語を論理的で「明快、正確」なものにしたと評価されるべきでしょう。川島のこの本は、日本語についての大切な文献といえます。

     

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『ある法学者の軌跡』川島 武宜

        

『文章読本』谷崎 潤一郎

       

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■成果を測る基本:顧客と利益

      

1 顧客と利益

マネジメントというのは、成果を上げるためのものです。成果を測る場合、基本になるのは顧客と利益ということになるでしょう。ただし、これは営利組織の場合に言えることです。非営利組織の場合や自己マネジメントにおいては、修正が必要になります。

営利だろうが非営利だろうが、組織の場合、対外的な関係者が不可欠な存在です。組織の活動を及ぼす対象者は、自分たちの組織内部の人ではありません。組織外にいて組織の活動を享受する対象者を顧客と定義するとき、顧客が成果を判断する基盤になります。

自己マネジメントの場合、自分が自分に対して働きかける行為は、自分を自分の顧客と位置づけて行う行為だと考えることも可能です。こう考えれば、自己マネジメントの判断基準を顧客とすることができます。では利益を、どう扱ったらよいでしょうか。

       

2 顧客から獲得する利益

営利組織の場合、利益は事業の継続に不可欠なものです。ところが非営利組織になると、積極的な意味での収益は存在しません。相手からの対価が期待できないためです。ただし非営利組織の事業を継続するだけの資金は必要になります。

いわゆる継続の費用としての利益が必要であるということです。必要な経費を確保しておけば、活動は継続できます。潤沢な資金があれば、活動の領域が広がられるようになるはずです。しかしここでの資金は、顧客から対価として獲得したものではありません。

自己マネジメントにおいては、継続の費用という概念も使いにくくなります。それでも自己の生活がなければ、自己マネジメントも成立しないという点から、生活基盤の形成に不可欠なものとして、利益の概念を使えるかもしれません。ただズレが生じます。

     

3 顧客が主、利益が従

こうしてみるとドラッカーが営利組織の目的が「顧客の創造」であるとしたのは、慧眼だったというしかありません。顧客に提供する業務の対価によって利益が生じるのですから、営利組織の場合でも、顧客が主で、利益が従という扱いになります。

営利組織においても、顧客と利益は対等ではないということです。非営利組織においては、顧客のみを成果の対象とすれば十分でしょう。顧客の数や、顧客の上達や満足度などから成果を測定することが出来ますし、それが適切な基準として作用するはずです。

自己マネジメントの場合でも、顧客としての自己の成果を測定することでこと足ります。個人の成果を測るために、点数化などの指標が使われてきました。これらによる成果の測定は可能です。逆に言えば、個人の成果を測るのに、利益の概念はいりません。

ビジネスで利益基準が圧倒するのは、顧客の数や満足度を総合的に表すのに、定量化できるマネーの尺度が便利だからです。取引が巨大になれば、必然的にそうなります。一方、企画や開発の場合、顧客に焦点を当てて考えることになるのも当然のことです。

     

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■資料を読みこむ理由:自分の問題を解決するための触媒

      

1 理解のためのテキスト

勉強会を開きました。企画を出すための勉強会です。そのためにいくつかのテキストを指定して、読んでおいてくださいということになりました。実際に企画を出さなくてはいけませんから、まじめな対応になります。当然、すぐに購入して読んでいました。

こういう場合、こちらも相当一生懸命やらなくてはなりません。指定した本を読んだ前提で、レジュメを作っておきました。それを確認してから議論を進めようということです。ところが実際に会って話をしてみると、状況が少し変わっていました。

新たな要望があって、まず優先すべき商品が別のものになるかもしれないということです。詳細な話を聞いてみると、もはや前提が違っていました。予定を変更して、別の企画にするしかありません。こんなことはよくあります。驚くことではありません。

     

2 チャンスになる再読

企画の対象が変われば、話は変わります。担当者との話は、事前に準備しておいたテキストや、それに関連したレジュメとは関係ないものになりました。おそらく新たな対象の企画が終わったら、その後に、もう一度事前のテキストを使うことになるでしょう。

しかし、もはや状況が変わっている場合には、内容確認をして、もう一度、別の観点から読むことになるでしょう。再読の前の確認は必要です。一度読んだものの確認をすることで記憶が喚起されますし、わかっていなかった点がたくさん出てきます。

必要があって一気に読むのですから、資料の読み込み不足が次々出てくるのは、自然なことでしょう。これらを確認して、もう一度読むことは、もはや別の人が読むのと同じことです。これによって実力がアップします。こんなチャンスは、そうそうないことです。

     

3 自分の問題が主

一度読んだ本を、もう一度読む人は少数でしょう。読みが甘かったと気がついても、まあいいかということになりがちです。それだけ価値ある本も、たくさんはないかもしれません。しかし本の価値と、そこから吸収できることとは比例しないものです。

大したことないと思われた本や資料をヒントにして、素晴らしい企画を立てた事例は、実際にあります。読む側に必要なことがあって、それを見出すために読むべき資料を必要とする場合、資料の全体的な主張を理解した後に、ある特定な部分に目が行くようです。

筆者の主張に寄り添いながら、ある部分を見出すことがあります。そういうときに、しばしば分かったということになるのです。この場合、筆者の主張の真意や、その内容が分かったということではありません。自分の抱いている問題がわかったということです。

資料がある種の触媒になって、自分の問題が分かったり、自分の問題の解決策が分かったりします。自分の問題が主で、資料の内容は従になっています。先の勉強会のレジュメは作り直さなくてはなりません。しかし読むべきテキストは、同じままで行けるはずです。

      

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■文章読本の終焉

      

1 文法の代替物だった「文章読本」

英語を書く場合、標準的な書き方があるようです。学術論文を書くときに、英文法のルールに沿った文章を書くのは、日本人であっても当然のことだと言われています。欧米言語はラテン語の文法が基礎にありますから、歴史があって安定しているようです。

日本語の場合、すべての学問を日本語の読み書きで行えますから、器としてはもはやグローバルな言語になっています。しかしまだ日本語文法が確立しているわけではありません。文法がない時代の代替物が「文章読本」だったと言ってもよいでしょう。

2000年頃までは、作家の文章読本の類がまだ幅を利かせていました。もはやそんな時代ではありません。20代の人にノーベル賞をとった大江健三郎という作家を知っているかと聞けば、大半が知らないと答えるでしょう。作家や文学への関心が急低下しています。

      

2 最期の文章読本『名文を書かない文章講座』

村田喜代子の『名文を書かない文章講座』は2000年に出された本です。芥川賞作家の文章講座ですから、いわゆる文章読本の範疇に入ります。「名文を書かない」という点が従来の「文章読本」との違いかもしれません。しかし最期の文章読本のように感じました。

文の構成を「起承転結」で確認した上で、「序破急」に言及して[私はこの「序破急」の形の方がいい得ている気がする](p.15)と記します。扱われる文章は、作家の専門分野にあたるものです。エッセイや小説などが多く扱われています。

良い事例として示されているものでも、不思議なほど関心がわきません。驚きます。さらに言えば、この講座での解説を読みながら、何だかズレたお話のように、説明するポイントが違うのではないかと感じました。文章に対する要求が違っているようです。

     

3 文法の軽視と文章読本の終焉

村田は「形容詞を多用しない」ようにと言い、「目に染みるような赤い皿のような、どす黒くさえ見える色をした大きな椿が…」との例文を示します。一方で「赤い椿」について[すべての形容詞を取り払ったのちに残る、たったこれだけの]と言うのです(p.64)。

形容詞という用語が正確に使われていません。修飾語をつけすぎないようにということでしょう。「文法より大事なもの」では、[どうでもよいところで文法の枝葉にこだわり](p.90)という言い方をしています。頼るべき文法がない状況を感じさせる言い方です。

作家だけに、感覚でおかしいのに気がついています。例文「兄の子供が、成績表が入ったランドセルを背負って帰ってきた」を、「成績表の入った」にしたいとのこと。理由はありません。[文章にとってこれらはあくまで部分である]と書いています(p.173)。

[初めに言葉があった。後から文法が生まれた](p.173)と村田は記しました。文法の軽視があります。「成績表の入った」にしたほうがよいのは、センテンスの主体が明確になるためです。21世紀とともに、文章読本は終焉を迎えたのかもしれません。

     

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『名文を書かない文章講座』村田喜代子

       

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■メモは実力を反映する:発見・思考の検証ツール

     

1 メモを再現可能にする方法

何か文章を書こうとする人に対して、しばしばメモを取ったほうがよいというアドバイスがなされます。たとえば宮家邦彦は『ハイブリッド外交官の仕事術』で、すべては[小さなヒントを丹念にメモすることから始まった](p.125)と記していました。

メモが再現不能にならないように、メモをした後、[文章として読めるようになるまで修正を加えていきます]とも書いています(pp..128-129)。こうしたメモがアイデアにつながるのです。宮家の場合、何かを生み出すヒントがメモであると言ってよいでしょう。

もっと直接的な使い方をするメモもあります。村田喜代子は『名文を書かない文章講座』の「急がばメモを」で、[しゃべりたい話が見つかると、そこらにある紙にとりあえず走り書きをする。これは要点だけメモ程度に簡単に記すだけでいい](p.17)とあります。

      

2 実力を反映するメモ

村田は芥川賞をとった作家です。こういう人が自分のエッセイを書いたときのメモを公開しています。メモは[頭の中であらかたまとめて、後で]書けばよいとのこと。「姉という世代」という原稿用紙一枚弱のエッセイを書いたときのメモが以下です(pp..17-18)。

▼仮題「弟よ」
・テレビの懐メロで内藤やす子の歌『弟よ』(橋本淳作詞)を聴く。
 一人暮らしのアパートで/薄い毛布にくるまって/ふと思い出す故郷の/ひとつちがいの弟を
・イガグリ頭の弟。あの頃は暗かった。世の中も、娘たちも暗かった。そんな時代の歌。友達のK子もこの歌が好きだと。弟もいないのに!
・「この歌聴いてると田舎に弟を置いてきたような気がする」。田舎もないのに! 弟って何だろう。
・高柳重信の現代俳句。「六つで死んで今も押し入れで泣く弟」
・弟は過去に住む。遠い姉の青春の日々。弟はその中にいる!

これだけで、何かを感じさせるメモです。村田は[メモが出来ると、エッセイは半分書き上がったのも同然だ](p.18)と言います。この水準のメモが出来る人なら、エッセイが書けるかどうかなど心配する必要もないでしょう。メモは実力を反映するようです。

    

3 メモは思考・発見の検証ツール

村田は「メモから実作へ」で、メモをもとにしたエッセイを引いて、[メモの文章が挿入されている箇所]を示します。もうメモの段階で半分どころか、ほとんどできていると感じさせるものです。ここまでが基本編に書かれています。これには参りました。

[実作を始めると誰でも委縮してしまいがちになる](p.22)とあります。朝日カルチャー教室でのことですから、そうなるでしょう。これだけのものを示されたら、誰でも委縮します。しかし、ぬるい文章を示すわけにもいきません。これでよいのでしょう。

[一つの文章をうまくまとめるのも大切だが、その前に発見や思考のある文章を書きたいものだ](p.23)と村田は言います。エッセイでも、発見や思考が必要です。当然、ビジネス文書にも必要でしょう。メモの水準が、文章の水準をほとんど決めてしまいます。

メモは素材です。素材の良し悪しで、文章の水準は決まるでしょう。同時にメモは検証ツールでもあります。メモは、言語によって思考を「見える化」したものですから、メモを見れば、その中にどのくらいの発見や思考があるか、確認できるということです。

     

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『ハイブリッド外交官の仕事術』宮家邦彦

      

『名文を書かない文章講座』村田喜代子

    

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■「ビジョン」とはどういうものか:セコム創業者飯田亮の考え方

      

1 「経営理念」と「ビジョン」

ビジョンという言葉がビジネスでは使われます。必ずしも明確な定義がなされていません。一般的な用語として使われています。「洞察力」とか「将来の構想」といった意味で使われているのでしょう。標準的な定義がなくとも、そこで語られることが重要です。

『プロの勉強法』に、セコムの創業者である飯田亮(イイダ・マコト)の「ビジョン構築」という文章があります。2004年9月13日号の「プレジデント」に載った記事です。すでに20年前のものですが、ビジョンを正面から扱ったものとして、大切にしています。

飯田もビジョンという用語を明確に定義しているわけではありません。しかし語られるところから、どういう意味の言葉として使っているのかが見えてきます。ここで「経営理念」と「ビジョン」を使い分けている点が大切です。両者が違うことを前提とします。

     

2 ビジョンは変更すべきもの

[経営理念は時代が変わっても変えてはいけないもの]です。一方、ビジョンは[時代や環境の変化に応じて変えていくべき]ものということになります(p.28)。ビジョンの変更は[ビジネス手法を破壊すること][創造的破壊]に該当するものです。

▼これからは経営者がどういうフィロソフィー(哲学)とビジネスデザインを持っているか。どういう考え方で経営をしているのか。そうした長期的な視野に立った見方が、より重要視されるようになる。 p.31

経営理念は「フィロソフィー(哲学)」にかかわり、ビジョンは「ビジネスデザイン」にかかわるものです。飯田は「ビジョンと信念」とも言っています(p.30)。不変の「経営理念、哲学、信念」、可変の「ビジョン、ビジネスデザイン」の2系統が必要です。

     

3 「安全安心を提供するための価値あるサービス」

飯田の言う「ビジネスデザイン」とは、「ビジネスモデル」にあたります。[私はヨーロッパに警備ビジネスがあると聞いて、セコムの創業を思い立った][セキュリティというそれまでの日本になかったビジネスを][デザインしていった](p.25)のでした。

[安全・安心を提供するという本道の部分で本当に価値あるサービスを行うこと]が重要であり、このビジネスを成り立たせるためには「三カ月分の料金前払い制を貫いている」(p.26)のです。前者がビジョン、後者がビジネスデザインに該当するものになります。

同じように、セキュリティ機器をレンタルにしたのも、[セコムのビジネスは顧客に安全・安心を提供すること]だから[自社で責任を持って管理・メンテナンスしたほうが、きちんとしたセキュリティサービスを提供できる]という理由からでした(p.27)。

主力事業だった巡回警備を、機械警備へと切り替えたのは、[これからは機械警備だというビジョンがあったから、創造的破壊の決断が出来たのである](p.29)。「安全安心を提供するための価値あるサービス」を継続するには、機械警備が不可欠になったのです。

      

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『プロの勉強法』プレジデント

    

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■文書の標準化について:文章チェック講座を終えて

      

1 リーダーたちの3つの受講目的

19日に文章チェック講座を行ってきました。この時期におおぜいの方がご参加くださって、感謝しています。リーダーの人達がどうやって文章チェックをしていけばよいのか、何か参考になることがあったなら幸いです。講義をすると、毎回勉強になります。

最初に受講の目的を確認させていただきました。今回も従来と変わりません。3つの目的でした。(1)リーダー自らの実力アップのため、(2)標準的なチェック方法はどんなものかの確認のため、(3)部下たちの実力アップにつながるチェック方法の確認のため…です。

文章チェックをする人が一番実力をつけます。このとき当然ながら、リーダーが一番実力があることが前提です。自らの実力アップを意識するのは自然なことでしょう。さらに成果を上げる自分なりの文章チェックの方法を確立する必要があります。

       

2 文書の「方言」と標準化

実力をつけるためには、まず文書の形式的な標準化が必要です。各人がばらばらの形式の文書を作ってきたら、チェックをするのは困難でしょう。書く方も苦労します。その組織、その部門での文書スタイルは、ある程度決まっていなくてはなりません。

今回、他社とのやり取りの多いお仕事をしている方から、会社ごとに文書の形式が違っていて、コミュニケーションに支障が出ているとの問題点が示されました。文書の標準化が不可欠であることがわかります。ここでの標準化は、標準的な標準化です。

この問題を指摘くださったリーダーの人は、各社の文書に「方言」があってという表現をしていました。これまで「標準化がなされていない」という言い方をしていましたが、まさに「方言」というべきものでしょう。うまい表現があるものだと思いました。

     

3 起承転結の否定

ビジネス文書で「起承転結」の形式を使うことは、もはや標準的とは言えません。しかし、いまだに起承転結で書くようにという経営層の人がいるとの話がありました。実態は、その通りです。これは徐々に変わってきているというしかありません。

経営陣が起承転結で書くようにという組織で、リーダーがそれを否定するのは簡単なことではありません。実際のところ、ケースごとに効果的だという形式を決めていくしかないでしょう。このとき案出される形式は、おそらく起承転結の形式にはなりません。

「起承転結」というのは、「結論」が後ろに置かれている形式です。最初に結論がわかる方が効率的な形式でしょう。これが標準的なスタイルの基礎になっていくはずです。こうした標準化の形成とともに、文章チェックの方法も標準化されていくということです。

形式が各社ごとに違いがあるのは、当然のことですが、その違いによってコミュニケーションに支障が出てくるようでは困ります。共通基盤ともいうべきスタイルがあるということです。文書の標準化と文章チェックというのは、車の両輪と言うべきものでしょう。

      

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■要素の細分化と「見える化」

   

1 問題の要因発見に有効な細分化

物事を分析するときに、要素を細分化していくアプローチは、現在でもしばしば使われています。要素を細分化することの効果には、どんなものがあるでしょうか。おそらく一番基本的なものは、問題に対して関係ある対象であるか否かを決定する機能です。

全体を見るのではなくて、全体の一部分を選択して、その対象を分析するアプローチをとるため、対象の「選択と集中」が可能になります。その結果、この要素は関係がある、これは関係がないと区分できるため、問題の要因が見出しやすくなるということです。

関係のあるものと関係のないものの線引きをするときに、正確な線引きをするためには、細分化を進めていくことになります。関係の有無を判定するためには、対象を「〇×」で決められるところまで細分化すれば、関係の領域が明確になってくるはずです。

      

2 細分化の弱点

一方で、細分化していくアプローチには弱点もあります。全体が見えにくくなるという点です。半分の赤ん坊というのはあり得ないというドラッカーの言葉もありました。組み合わせによる影響も無視できません。細分化すると、見えなくなることがあるのです。

部分を磨き上げれば、全体も磨きがかかると期待するのは当然ではあります。ところが合成の誤謬という言葉で示されるように、個々の期待が積み重なっていくと、かえって全体として別方向に行くことがあるはずです。皮肉な結果が生じることはありえます。

良かれと思って始めたものが、全体として悪い結果を生むことなど、ないと思いたいところです。しかし例えば、個々人の節約が健全であっても、それが拡がり過ぎれば、生産者も販売者も困ります。だから結果から考えていくアプローチも必要になるのです。

     

3 コンセプトからのアプローチ

期待する成果を明確にして、そこからどうすべきかを考えるアプローチは、要素を細分化して分析するアプローチとは大きく違います。こうなりたいという状況を「見える化」することからスタートするのです。存在しないものの姿を、明確にすることになります。

このように現実に先立って、あるべき姿を創造する行為がコンセプト作りの段階です。ここでは分析は出来ません。代わりに統合がなされます。ここはこうだ、この点についてはこうなるように…と、部分が全体に統合され、簡潔で明確な姿が描かれていくのです。

堺屋太一は沖縄返還に際して、沖縄の人口が減らない施策をとるようにと命じられて、沖縄に産業を興すことが必要だと考えました。条件に合う産業は観光業だとターゲットを絞り、「海洋リゾート沖縄」というコンセプトを作ります。そこからスタートしました。

現状を変えるために行動を起こすとき、中核になるのはコンセプトです。ゴールを「見える化」したら、今度は到達までのプロセスを明らかにしていきます。その過程で検証が必要になれば、分析の登場です。分析は行動における補助機能というべきものでしょう。

     

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■業務マニュアルを作成するために:必要となる新たな入門用プログラム

      

1 コロナ以前と様変わりした受講者

新型コロナのまん延によって、ずいぶんビジネスリーダー向けの講座参加者に変化がありました。一番大きな変化があったのは、業務マニュアル講座です。コロナ前には、なぜかベテランの方がたくさんいらっしゃって、驚くべき高水準を要求されました。

10年以上前にスタートしたときには、入門講座がよいということでしたので、講座名も「業務マニュアル入門講座」といったものだったのです。当然のように初級講座という認定でした。5年すぎた頃に、講座名から「入門」が外れたように記憶しています。

講座のレベルも中級講座となりました。しかしコロナ前の2018年から19年頃には、中級以上のベテランがかなり参加くださっていましたから、あれは上級と言ってよかったのではないかと思います。ところが今は、若手中心の入門講座に戻りつつあるようです。

     

2 若手の抜擢と経営側の不安

直接相談を受けるケースを見ても、会社のトップの方がご自分でマニュアルを作りながら、ご相談くださることもありますが、それよりも若手抜擢の話になりがちです。若い優秀な人がいたら、ひとまずリーダーにしてみるという組織がかなり出てきています。

そうして抜擢された方の中には、業務マニュアルのことなど、よくわからないという人が多いことでしょう。業務マニュアルを作った経験があるという人でも、経営にかかわることではなくて、新人向けの業務の手順を書いただけということになりがちです。

若手の抜擢がかなりの会社で見られますが、経営にかかわることを若手に丸投げもできず、困っている様子が見られます。数名の経営側の人とのお話にすぎませんので、雰囲気だけだと思っていただきたいのですが、ひと言で言えば「参ったよ!」です。

     

3 業務の「見える化」からスタート

古い業務マニュアルが役に立たなくなれば、それを使うわけにはいかないでしょう。しかし、いきなり成果の上がる良質の業務マニュアルを新規に作ることなどできない、ということです。まずは基本を知り、実際にマニュアルを作ってみるしかないでしょう。

受講者の中には、会社から行ってきてと言われたという人が、毎回、数名いらっしゃいます。コロナ以降、もはや参加される方々の中心は、初心者レベルと言ってもおかしくありません。そんなことで、講座がまた初期の頃の「入門講座」に戻ることになります。

業務内容はここ数年で、ずいぶん変わってきました。業務形態の変化を反映させるのは当然のことです。同時に業務マニュアルを初めて作る人向けに、あまりぐらつかない作り方を確立できたらと思います。ささやかな数ですが、個別指導では成功例があるのです。

まずは作成領域を選定して、次にその領域で、現在どのように業務を行っているのかを記述することになります。いわゆる業務の「見える化」からスタートするしかありません。叩き台があれば、それを改善していくことは可能です。基本はこういうことになります。

     

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