■レポートの提出をめぐって

      

1 大事なのは書き出すこと

後期の講義がオンラインになった学科がありましたので、成績をレポートでつけることにしました。1月末が提出期限ですが、レポートの練習も兼ねて早めの提出を認めてます。数日でコメントをつけて返しますから、それをみて再提出してもいいということです。

月の半ばまでにおよそ3割の学生が提出しています。この3割のうち、どのくらいの学生が再提出するか、それもチェックすべきでしょうが、すでに傾向が見えているとも言えるでしょう。早く提出してきた学生により多く期待できるということです。

現在の実力がどうこう言ったところで、学生ですから、大したレポートなど書けません。あちこち指摘する気になれば、言えるでしょう。しかしなかなか良い点もあるのです。ここを伸ばせば、かなり良くなるというのが見えます。その指摘をして返しました。

大事なことは、書きだすことです。仕事がのろいというのは、仕事が出来ないということとほとんど同じでしょう。少なくとも学生のように未完成の状態では、早く出して修正のヒントを求める人の方が実力をつけてきます。これは多分、今後も変わらないでしょう。

       

2 修正が大切

レポートの書き方など、教わったことがないという学生がほとんどです。最初に講座を担当するときに担任の人から、レポートはこちらでやっていますからということでした。しかし学生の様子を聞いてみると、彼らには習ったという感覚がありませんでした。

提出して、評価されて、それで終わりですから、修正ということの大切さが感覚的にわからないのかもしれません。書くから、あれやこれやを思いつくのです。だから書かなきゃダメだと言うのですが、なかなか書きだしません。これでは苦労します。

社会に出てからレポート書きを鍛えてもらえた人は幸いです。ほとんどの人は、まともな修正などしてもらったことがないでしょう。したがって自分で修正の方法を覚えなくてはなりません。それはたしかに可能です。ただしそうとう苦労します。私もそうでした。

     

3 留学生と女生徒が圧倒

3割の提出者を見てみると、今年もまた同じか…という気もしてきます。最初に提出してきたのが留学生です。日本語でのレポートですから、おかしな表現はありますが、内容はしっかりしています。そのあと提出した学生の全員が女性でした。いつものことです。

男女比率、留学生の比率を考えると、留学生が一番少数で、次が女性です。半分以上を占める男子学生からの提出がありません。7年間で6学科を見たかぎりにすぎませんが、日本人男子よ、どうしたんだというのは変わらない傾向です。今後も変わらないでしょう。

個人差が出てきていますから、一概に言えませんし、じつのところ男子学生の成果物の評価は必ずしも低くないのです。積極性の問題でしょう。その後、どうなるか。ささやかな教え子のケースを見ると、女性の活躍が圧倒的なのです。いささか気になります。

      

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■テクニックよりも大切なこと:コツの習得

   

1 古谷昇『もっと早く、もっと楽しく、仕事の成果を上げる法』

本の山から古谷昇の『もっと早く、もっと楽しく、仕事の成果を上げる法』が出てきました。ずいぶん前に読んだ本ですから、いつ出版されたのだろうと見てみると、2004年です。もう内容も忘れてしまっていましたが、だんだん思い出してきました。

「はじめに」の最初に、苦労なしに仕事がうまくいく人と、苦労して何とか回している人がいると書かれています。ところが[多くの本は、二番目のグループで生き残るための精神論や手法に終始したものが多い]と続き、私は一番目の人間だというのです。

世の中の一般的な関心がずれているということでしょう。かつて雑誌からインタビューを受けたことがあったそうですが、せっかくの取材でしたが、古谷のパートはその雑誌になかったとのこと。それはそうでしょう。読まれる内容とずれていたからです。

      

2 二番目グループ向けの話

古谷は言います。[彼は私から、スケジュールの立て方とか、アポの入れ方といった、テクニック的なノウハウを聞きだしたかったのに、その手のものに関しては私が何も特別なものを持ち合わせていなかった]。二番目のグループの人向けの話をしなかったのです。

それでは何か大切なのか。古谷は「コツ」を身につけることが大切だと言います。[コツとは何で、コツを身につけるためのノウハウや使い方]が大切なのです。トップに立った古谷も[入社時は並みか、その下くらいからのスタートだった]と記しています。

[人のあらゆる活動に関するノウハウには、どうやら次の三つのレベルがある]といって、3つを上げています。①意気込みでやる、②手法、テクニック、知識でやる、③コツでやる。②がいわゆる二番目のグループの求めるものだということです。

     

3 肝心なコツだけを教えること

古谷は跳び箱が飛べるようになるために、どうしたらよいかという例を出します。[飛べない子に「助走」「踏み切り」「手をつく位置」などとステップを分解して、いちいちテクニックを教えるのは利口なやり方ではなかった。正解は、肝心なコツだけを教える]。

いうまでもなく、いきなりコツから入れるわけではありません。跳び箱を知っていること、すでに跳び箱を飛んだことがあること、こうしたことを前提としています。だから知識が必要でないとは言えません。しかしその知識はたいした量ではないのです。

ポイントになるのは、コツを教えているかどうかということになります。もし何かの分野で、一気に上達した経験がある人なら思い起こすはずです。あるとき、何かがわかったということがあったでしょう。それはコツと言われるものだと思います。

一定レベルを超えた領域で何かを成そうとするとき、最重要なことはコツの習得です。古谷は、70点を80点にではなく、40点を70点にする方法がコツだと言っています。これはOJTマニュアル講座の大切なポイントです。この本の影響もあったように思います。

      

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■日本語文法講義の6回目:連載更新

現代の文章 日本語文法講義 第6回

    

1 蘭学から英文法へ

いささか予定が立て込んでしまって、連載が予定よりも遅れてしまいました。何とか載せたところです。今回、また寄り道のように蘭学の話にさかのぼって行きました。蘭学のことを確認してから、英文法の話をしたいと思ったのです。そう複雑な話ではありません。

「蘭学から英文法へ」という内容です。「解体新書」という医学者の翻訳の話はご存知でしょう。あの翻訳がなされたのが、1774年だそうです。それ以降、ずいぶんオランダ語の翻訳がなされるようになります。これは日本人の積極的な行為でした。

それまでに日本にやってきたスペイン、ポルトガルの宣教師たちは布教のためという目的から、日本語を覚えようとしました。しかしオランダ人の場合、布教目的ではありませんから、特別日本語を覚える気がないのです。日本人がオランダ語を覚えたのでした。

翻訳が拡大していくと、長崎でオランダ語を話すこととは別に、江戸では読むオランダ語が独立して扱われるようになってきます。そして翻訳技術が発達していくのです。ところが、そのとき使った方法は漢文訓読の応用でした。従来からの方法をとったのです。

     

2 ヨーロッパ文化という新しい刺激

蘭学の方法は、近代化のために採用した方法と違ったものでした。これは別に、オランダ語をはじめとした語学に限りません。江戸時代に中国趣味がブームになりました。さらに生活が安定してくると、もっと高度な生活程度を目指すことになったということです。

こうして生活に南蛮趣味が入ってくることになります。ヨーロッパ文化を受容する素地はすでに徳川時代において形成されていたということになるでしょう。ただし[さらに新段階に飛躍するためには、何か新しい刺激が必要]でした(宮崎市定『アジア史概説』)。

蘭学の方法が漢文訓読の方法だったのは象徴的なことでしょう。別のものが必要でした。[新しい刺激とは、ヨーロッパ文化に他ならない]と宮崎市定は書きました。「ヨーロッパ文化」とは、訓読とは違った方法を言います。それが英文法という方法でした。

      

3 学校文法の基礎となったマリーの英文法

1795年にリンドレー・マリーの英文法が刊行されます。この英文法は画期的だったようです。渡部昇一は『秘術としての文法』(講談社学術文庫)で、[ただ一つの文典が英語国を支配すると言ってもあまり誇張でないような状況が現出する]と記しました。

日本で最初の英文法の本が、マリーの英文法のオランダ語訳からの重訳だったそうです。これはおなじく渡部昇一の『英文法を知っていますか』に書かれています。[開国前後の日本の英語の勉強はマリーから始まったと言えるであろう]ということです。

漢文を直訳する方法が訓読法であるならば、英語を直訳する方法は、学校文法とか伝統文法とよばれる文法のルールにそって読むものでした。この方法を使った結果、日本語にどういう効果をもたらしたのか、それがこれ以降に語られなくてはならないことです。

    

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■レポートの構成について:主観と客観の乖離と合理的解決

    

1 レポート重視の傾向

就職活動をみていて気がつくことですが、最近はレポートをとても重視する会社が出てきています。ほとんどレポートの出来で決まったのではないかというケースもありました。どういう対策を立てるかと考えることになります。なかなか本気でやらないものです。

今年はすこし変化球を投げてみました。一つの講座だけですが、期末の評価をレポートで行うことにして、早めにそのことを知らせておいたのです。心配なら途中で持ってきてもいいからと伝えました。早く出したものには、コメントをつけて返します。

かなり丁寧にコメントをつけますから、それにそってもう一度書いてみると、かなりのレベルのものになります。自分でもそれを感じるでしょうし、評価が上がりますから、やる気のある学生の多くが事前にレポートを提出するのです。それを狙っています。

    

2 主観的内容・客観的内容・合理的内容

テーマが自由ですので、書き方を一般化するわけにはいきませんが、基本的な書き方のひとつに、主観的内容、客観的内容、合理的内容を並べる方法があります。最初に主観的な考えを記し、次に客観的なデータ・情報を並べ、これが合理的だと示すのです。

まず自分はこう思う、それはこんな理由であると書きます。ところが世の中を見てみると、こんな風になっているではないか…と乖離を示した上で、この乖離を機会ととらえるならば、これを埋めるにはこうしたらどうか、こういう点が効果的だと論じる形式です。

たいていの学生は、世の中一般がどうなっているという客観的なデータや情報を見つけてくるのが苦手です。本を読んでいませんし、Webの検索もあまり活用していません。この機会に、文献紹介やWebの検索の仕方を教えます。成功体験をしてもらうのが目的です。

紹介された本やWebを調べれば、何らかのヒントが得られます。それをまとめると何らかの気づきがレポートの内容に反映されることがあるのです。再び提出したものに、さらなるコメントをつけていくと、自分でもレベルアップしたのに気がつくようになります。

     

3 主観と客観の乖離がポイント

自分はこう思うと書き出して、それに関連したデータや情報を見つけてきて、それらをまとめてみると、こうしたらいいというアイデアが出てきます。自分の主観がテーゼであり、それと乖離のある客観的な事実がアンチテーゼという感じでしょうか。

はじめに出されるレポートは、主観中心に論じる傾向が強くあります。自分はこう思う、なぜならばという理由づけの過程で、客観的な事実に言及する程度では、バランスの良いレポートにはなりません。それだけでは広がりない、弱い内容になりがちです。

コメントをつけるときに、ある程度の誘導をすると、ときどき本人たちが発見をします。気がつかなかったけれども、こうだという何かを見出すことが大切です。上手くまとめられた経験があると、また何かを探ろうとします。いま、それを待っているところです。

    

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■日本語の近代化の背景:『翻訳と日本の近代』から

     

1 軍隊における日本語

司馬遼太郎が日本語の文章について何度か講演で語っています。その中に「日本の文章を作った人々」という講演がありました。[このごろようやくまとまりつつある考え]を語った1984年の大切な講演録です。その中に、以下のように語った一節があります。

▼明治十六年(1883年)に日本に陸軍大学校ができました。二年後に、ドイツ参謀本部の大秀才のメッケル少佐が招聘されます。
まずメッケルが言った言葉が、
「軍隊のやりとりの文章は簡潔で的確でなければならない。日本語はそういう文章なのか」というものでした。
そのメッケルの言葉を受けて、軍隊における日本語がつくられていくのです。 (司馬遼太郎 講演録「日本の文章を作った人々」)

ここで[軍隊における日本語が作られていく]とあります。司馬が軍隊の日本語を重視したのは、なぜでしょうか。当然ながら近代化の問題があります。軍隊をつくらなくてはならなかった日本は、そのために様々な分野のことがらを変える必要がでてきました。

ここに翻訳の必要性が出てくるのです。丸山真男・加藤周一の『翻訳と日本の近代』において、このあたりの事情が語られています。丸山は[いちばん早く近代化したのが軍隊]だと言い、[軍隊では、すべていわゆる洋式にせざるをえない](p.17)と言うのです。

      

2 基礎を築く時間を与えられた日本

これに先だって加藤は、[19世紀の初めごろからの西洋は、直接に接触するような形で出てきた]、ところが日本側の[西洋についての情報は乏しい]、[そこで、「これは大変だから情報を獲得しよう」ということになった](pp..5~6)と指摘しています。

加藤はさらに言います。[西洋人は日本の海岸まで来たけれども、19世紀の後半には、日本側にとっては驚くべき幸運で、日本侵略に乗り出す事情になかった]。欧米諸国が[アジア侵略を休んでいる間に、こっちは敏捷に近代化ができた](p.8)のです。

丸山がその事情を語ります。[とくにクリミヤ戦争と南北戦争は大きい。クリミヤ戦争はイギリス・フランスとロシアのツァーが国をあげての大戦争ですし、南北戦争の死傷者の数だって大変なものです。ひとの国へ行くどころじゃない](p.11)のです。

クリミヤ戦争が1853~56年、南北戦争は1861~65年のことですから、1853年の[ペリーの来航以後に、あちらの事情で外圧が減った。その間隙に明治維新の基礎を築いた](p.12)のでした。さらに偶然が重なって、日本は近代化できたと丸山は指摘するのです。

     

3 尊攘論からの転換

[幕末の尊王攘夷論(尊攘論)がずっと続いて、開国に転じなかったら][向こうとしては軍事的方法を通じてでも日本の攘夷論をたたきつぶしたでしょう]。この点、[日本側の戦術的転換、変わり身の早さが功を奏した](p.p.12~13)ということになります。

つまり、[尊攘論の中心は薩摩と長州でしょう。その薩摩は薩英戦争で完敗し、長州は四国連合艦隊に上陸されて、これもめちゃくちゃに負けているのです]。[尊攘論の一番強硬だった薩摩・長州が西洋の武力を直接知って、いちばん早く転向した](p.13)のです。

その結果、外国人顧問を[軍隊でも、軍事訓練の目的で呼んで、ついでに西洋史とか、他のものも教えている](p.18)。冒頭の司馬の講演にあったメッケルの陸軍への招聘は、1883年でした。丸山真男の指摘する通り、日本は欧米から学ぶ時間があったのです。

加藤は[「近代化」の第一歩は、外国人教師、留学生、視察団、それから翻訳](p.18)と指摘し、丸山は[想像以上に翻訳文化の到来というのは早くて、その影響も大きかった](p.49)と言います。欧米の抽象概念の導入と日本語の発達が関連していたのです。

    

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■レポートの書き方:「ある程度」の準備と実践

     

1 どう書いたらよいのかわからない

1月12日から講義が始まりました。早くも来週から後期試験になります。学生の状況を見て、あれこれ調整しての試験準備でしたので、いささか疲れました。オンラインの講義が一コマありますので、そちらは早くからレポート提出ということになっています。

状況を聞いてみましたが、思った通りです。なかなか書きだせないという学生が大半を占めています。これは別に学生ばかりでなく、ビジネス人でも同じです。状況はどうかと確認すると、どう書いたらよいのかわからないという答えが返ってくることになります。

レポート提出と言ってもA4一枚の分量ですから、そんなに負担になるものではありません。何を書くのか、ある程度決めたら、実際に書いてみればよいのです。書いてみれば、何かが足らないということに気がつきます。追記していけば、何とかなるはずです。

      

2 書きだしてこそ内容が決まってくる

ある種の決まりがあるような気持ちになるのか、最初にどう書きだすのがいいのかわからないといった声が出てきます。テーマにもよりますし、切り口も違いますから、そんな定型的なものがあるはずはないのです。その都度、考えて決めていくしかありません。

最初からすべてが見える状態にしようとすると、かえっておかしなことになります。全部が見えてから書こうとすると、飛躍しなくなるはずです。書きだしてこそ、内容が決まっていくというのが自然でしょう。ある程度できたら、書き始めること自体が大切です。

小説家の宇野千代が語ったという言葉が、瀬戸内寂聴『わたしの宇野千代』にあります。瀬戸内が[きちっと始めから終わりまでノートができていて、それから書くっておっしゃる方がいますでしょ]というと、宇野は[あれは駄目]と答えているのです。

▼ドストエフスキーでも、あれだけのものをはじめから構想して書いたんじゃないと思うの。私の小説作法にあるように、最初「雨が降っていた」という一行を書いて、だんだんと書いていくうちにああいう構想ができてきたんだと確信しています。 (瀬戸内寂聴『わたしの宇野千代』)

     

3 「ある程度」の内容

A4一枚程度のものなら、まずテーマを決めて、どこに焦点を当てて、自説がどうなるかと言って程度のことはわかるはずです。そのくらいのことが決まっていたら、それらを箇条書きにして並べてみて、順番を入れ替えれば、ある程度の構成もできてくるでしょう。

ここまでくれば、書いていけばよいということです。小説家でもさすがに、何もイメージなしに「雨が降っていた」とは書かないでしょう。ある程度は書きたいことがあるわけです。その「ある程度」ができたら、書かなくてはその先に進まないということです。

学生やビジネス人のレポートの場合、「ある程度」というのは、(1)テーマは何か、(2)その中で焦点を当てるポイントはどこか、(3)自分の考えはどんなものか、このくらいでしょう。慣れてくれば、これらはそんなに苦労せずに思いつくようになります。

練習が必要です。やってみるしかありません。泳げるようになるには、プールに入ることです。競技に出場するなら、飛び込めなくてはなりません。飛び込み方をある程度知っておくことは不可欠ですが、飛び込んでみないと飛び込めるようにはならないはずです。

     

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■優秀な社員を伸ばす組織を:トップの腕の見せどころ

     

1 自分の仕事の方法を意識すること

今年に入って、卒業生たちと何度か話をする機会がありました。みんな元気そうなのは、若いから当然かもしれません。自慢の教え子たちです。ほとんどが同期で一番とか、会社で一番という評価を受けています。もともと向いている分野の会社に行ったからです。

しかしそれだけではありません。仕事をしながら、それを意識するように、自分の仕事の仕方を記述するように話しています。自分用の業務マニュアルを作っているのです。こういうことを他の人たちはしていないのでしょう。すぐに飛び抜けた存在になります。

デザインをする仕事に従事している教え子には、うまくいったときに、どういう手順で行っていたのかメモをするように言いました。記録して送ってきたものを見ると、何かが抜けていると感じることがあります。それを指摘して送り返すということをしてきました。

そのうち単なる手順ではないことに気がついてきます。何でそういう方法を選んだのか、そこから考えると、全体の手順に甘さはないかという話になっていくのです。たいていの場合、そうしたやりとりをするうちに自分の仕事の方法を意識することになります。

      

2 飛び抜けた社員に負担を強いる組織

業界で知る人ぞ知るきっちり社員教育をする会社では、やりたいことを自由に選べるようにしながら、各人が仕事のレベルアップをするプログラムを作り上げています。そういう中で成長してきた人たちは、自然に後輩たちにも、その仕組みの中で話ができます。

こうやって恵まれた中で成長していく人たちがいる一方、社員教育といえるものがあるのか疑問に思える組織もあります。この種の組織で働く教え子たちには、少し気をつけるように言わなくてはなりません。ひどい話ですが、何人かが倒れてしまいました。

仕事のできる人に仕事を回したほうが効率的ですから、少数に仕事が集中していくのですが、それが極端なのです。先日聞いた話でも、メールの処理だけをみても他の人の数十倍、それもすべて面倒なメールの対応だとのこと。会社も知っているというのです。

こういう例がまだあります。会社がきちんとした社員教育をしてくれないのなら、自分で自分を教育しなくてはならないと言い続けてきました。当然、自分用の業務マニュアルを作っています。すぐに成績はトップになります。その結果が仕事の集中です。参ります。

      

3 トップの腕の見せどころ

創造性を発揮する分野であっても、マニュアル化できるという発想で話をしてきました。芸術を教える学校が存在するように、デザインや企画を立てる部門でも、その方法があるはずです。そういう分野の仕事ほど、自分用のマニュアルが必要になります。

こういう発想で働いている跳び抜けた人を、もっとその分野で飛躍させようと組織側が考えるのならよいのですが、そうはなっていません。付加価値がついたら困るのでしょうねと、皮肉を言いたくなるバカげた仕組みが、日本の中小企業にはいくらでもあります。

何人かの教え子が転職をして、会社がその穴を埋められずにいる話は、ある種、痛快ではありますが、あまりに組織側の対応が拙すぎてがっかりします。先のメールが集中している教え子には、ちょっと秘策を伝えました。あとは組織側の考え方次第です。

せっかくすばらしい人材が採用できたとしても、その人たちに活躍してもらう体制がなかったら、結果として組織は損をします。希少価値である彼らをリーダーにして、ノウハウを組織の財産にするほうが賢いのです。幹部や部門トップの腕の見せどころでしょう。

      

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■就職活動を見ながら:人を選抜するということ

     

1 優秀な学生を見出すのはむずかしい

今月12日から講義が始まります。たまたま人事の方から、最近の若い人がわからなくなったと連続して言われたのが、2013年の後半だったと思います。2014年から大学と専門学校で講義をさせていただくことになりました。いまも専門学校では講義を続けています。

新型コロナの感染拡大で、昨年の卒業生たちはそうとう苦しみました。今年卒業する学生たちも、夏くらいまではあまり変わらない状況でしたが、夏のコロナ感染がピークを過ぎてから内定が拡大し、年を越してからも、かなりいい会社に内定が決まっています。

来年卒業する学生たちは、おそらくもっと状況がよくなっていることと思います。ただ今後、企業側が苦労するかもしれません。いい学生をどうやって採用するか、簡単ではないでしょう。従来型の採用システムでは、優秀な学生を見出すのは簡単ではありません。

      

2 レポート課題は有効だが躊躇されがち

今年卒業する学生たちの選抜を見ると、業界の中でも強い会社はレポート提出を課すところがいくつか見られました。これは人事の人にとっても、悩むことがらかもしれません。それなりに優秀な学生でも、レポートが書けない人の割合がかなり高いのです。

定員の何倍ものエントリーがある会社ならば、レポートに躊躇する必要はないでしょう。しかしレポート提出と聞いただけで、挫折しましたと言う学生が私の知る限りでも、かなりいるところを見ると、レポート提出の課題を諦める企業もあるかもしれません。

教える側から見ると、レポート重視は王道だと思います。普段からきっちりやることをやる学生は、書き方を少し教えるだけで、かなりレベルの高いレポートが書けるようになります。思ったよりも個人差が大きいのも特徴です。有効な手段にちがいありません。

しかし企業側にはレポートを課すのに躊躇する別の要因もあるように思います。もしレポートを適切に評価できるなら、選抜の手段として有効でしょうが、毎年うんざりするほど評価を間違う会社が実在するのです。何をやっているのかと思うことがあります。

      

3 間違い続ける担当者と見事な担当者

学校でも会社でも、文書を作成するための訓練がほとんどなされていません。それを指導できる人がかなり少ないというのが現実です。それだからこそ、レポートを課題にし、それを的確に評価した会社は目立ちます。実際に少数ながらお見事な例もありました。

人事の人も、学生に普段から会うわけではありませんから、当然間違います。やはり複数で判断する体制を作っておいた方がよいのでしょう。最近目立つのは、若手の優秀な人の存在です。彼らはレポートも書け、仕事もできるタイプの人なのかもしれません。

今年度の例でも、チーフが評価を間違えたらしく、ボロクソに言われたとの報告がありました。またあの人かと思います。幸い若手担当者がフォローしてくれて、再チャレンジが出来ました。圧倒的な実力の学生です。次に面接した役員がそこをすぐに見抜きました。

間違う会社と、いつも立派な選抜をする会社がはっきりと分かれています。おそらく一番大切なのは、2013年頃にも問題になった、わからないという自覚でしょう。もう何年も間違い続けている自信満々のベテラン人事担当者を抱える会社が、まだあるのです。

       

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■基本形からのズレ:日本語文の文法分析

      

1 「主役+文末」の対応

今年もときどき日本語の文章の文法的な分析をやって行こうと思っています。今回取り上げるのは、2022年1月3日の日経新聞の社説「公平で機動力のある再分配制度を」のはじめの部分です。基本からずれた表現は、何となくわかりにくく感じるといえます。

▼社会保障など今の日本の再分配制度は社会・経済構造の変化に合わせたモデルチェンジができていない。共働きを勘案せずに主たる生計者の年収が960万円未満という基準で10万円給付の対象を決めてしまったのは、その象徴といえる。真の弱者に適切な支援を届ける安全網を構築しなければ、日本の資本主義は持続力を失う。

3つの文から成ります。最初の文が問題です。【社会保障など今の日本の再分配制度は社会・経済構造の変化に合わせたモデルチェンジができていない】。このセンテンスの主役となる言葉は【日本の再配分制度】になると思うはずです。本当でしょうか?

文末は【できていない】になっています。主役+文末の形式が「制度は…できていない」の形です。制度ができていないということは、制度がないということになってしまいます。主役+文末が対応していて、文末の主体になっていないとみょうな感じです。

       

2 「誰は・何が・できていない」の形式

文がどういう構造になっているか、詰めて考えてみるとお手上げになることがあります。もう一度、読んでみてください。【社会保障など今の日本の再分配制度は社会・経済構造の変化に合わせたモデルチェンジができていない】。何ができていないのでしょうか。

「モデルチェンジができていない」のです。(1)【再分配制度】の【モデルチェンジができていない】、(2)【社会・経済構造の変化に合わせた】【モデルチェンジができていない】。2つができていないということになります。本来の構造は以下でしょう。

強調: 社会保障など今の日本の再分配制度は 【は←の】
主役: 社会・経済構造の変化に合わせたモデルチェンジが
文末: できていない

「強調」の部分は本来、主役に含まれていたのです。頭でっかちの文でした。何となくおかしいので、強調部分を切り離すように、助詞を「は」にしています。その結果、「誰は・何が・できていない」の形式の文に外形上おなじになったのです。

「彼は・宿題が・できていない」ならば、「彼は・できていない」となって文末の主体者がセンテンスの主役になっています。日経社説の例文は、「今の日本の再分配制度」を強調するというよりも、「誰は・何が・できていない」の形式を借りたのでしょう。

    

3 センテンス構造のバランスの良し悪し

「誰は・何が・できていない」の形式なら、「今の日本は・モデルチェンジが・できていない」です。ただ「社会保障などの再分配制度の社会・経済構造の変化に合わせたモデルチェンジ」と、長くなります。「誰は・何を・どうした」の形式が一般的でしょう。

「日本は/社会保障などの再分配制度を/社会・経済構造の変化に合わせてモデルチェンジ(変更・修正)してこなかった」となります。例文は「モデルチェンジ」に多くの言葉を関連づけすぎました。それを分割するために強調形にしていたということです。

2番目の文も【その象徴といえる】が文末。その前がすべて主役になります。バランスが悪い形式のため、わかりにくいのです。3番目の文は、TPO「真の弱者に…しなければ」を示して、「日本の資本主義は/持続力を/失う」となっていて、素直に読めます。

     

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■目的・目標・手段による業務の検証

     

1 リーダーが使うコンセプト

目的・目標・手段というコンセプトはマネジメントの中核になっています。何のためにしたいのですか、何を具体的にゴールに決めるのですか、どうやってそれを実現するのですか、ということです。リーダーなら当たり前のように、そう考えているでしょう。

こうやって発想することは、自分の考えを強固なものにしてくれます。目的を考えるときには自分の思いが前提になっていますから、主観的な考えです。主観的にこうしたいというだけでは、不安定なところがあります。具体的なゴールがあれば安心です。

具体的なゴールというのは、客観的なものを前提としています。達成できたかできなかったか、どのくらい達成できたかがわかるものにするということです。自分の思いが客観化されたなら、正しさも検証できます。そして行動を考えることができるでしょう。

目標を達成すること、つまりゴールに到達するために、どうするのが合理的かと考えることになります。主観的に目的を考え、客観的な目標を設定し、それを合理的な方法で達成していくということです。バランスの取れた考え方だろうと思います。

      

2 ミクロ領域にも使える目的・目標・手段

この目的・目標・手段の考えは、たんにマネジメントで使えるだけではありません。もっとミクロのものであっても使えます。たとえば業務を細かく区切って、ちいさな業務プロセスを作ったときにも使えるコンセプトです。そのプロセスを検証するのに使えます。

そのプロセスはどんな目的で組み込まれているのか。まずこれを考えます。そのプロセスで目標とすること、超えなくてはいけない水準はどこであるのか。一番の中核になるものを明確にすることです。それは品質なのか、コストなのか、スピードなのか。

こうやってプロセスの目的と目標が明確になれば、どういう手段でこのプロセスを実施するかが明確になります。品質重視なら、コストがかかっても品質に有利に働くようにこのプロセスを組み立てなくてはなりません。スピード重視なら、その仕組みが必要です。

      

3 おかしさの発見と問題解決

マクロとミクロで、同じ目的・目標・手段を使ってみていくことが出来ます。主観性と客観性と合理性で判断するということです。3つの観点で見ていくと、どこかに齟齬が出てきたら、何かがおかしいと気がつきます。おかしいと分かれば、探せることでしょう。

たいていおかしいと気がつかないことが多いのです。おかしいのに気がつけば、ほとんどのことが遅かれ早かれ、問題解決に結びつきます。プロセスを設計するときに、もっと良い方法が見つかるということです。そのまま改善になったり、革新に結びつきます。

万能ではありませんが、目的・目標・手段の観点で考える視点は貴重です。こうした観点から考えたほうが、思考が安定します。これがプロになると、ある種、感覚が研ぎ澄まされるのです。真・善・美と結ぶつけたくなったのは、プロの仕事を見たからでした。

      

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